日本の性愛/恋愛事情の今昔
日本で恋愛事情を取材しているとき、大学生の女性がこう言っていた。
「相手に大きな望みはないんです。でも、ニート、フリーター、派遣だけは避けたい」
非正規雇用の男性は、最初から恋愛・結婚市場から除外されている。ところが、正社員の男性は、仕事が多忙で、恋愛に割く時間もエネルギーも持ち合わせていない。そのうち恋愛も結婚も年とともに諦めてしまう。恋愛市場が歪な形になっている。だからなのか、性風俗店は世界でも図抜けて多い。
いつからだろうか?
昔の日本はこんな社会ではなかったはずだ。柳田国男のような官制の臭いが強い民俗史ではなく、赤松啓介のような在野の民俗学者が描いた日本社会には、明治、大正、昭和の庶民の性生活が描かれている。農村でも商店でも、夜這いの習慣が普通で、祭りなどでは乱交もあったようで、明るい農村というのはまさに公の言い草だが、その底に隠れているのは、明るく愉しい性生活の農村ということであった。かつて、日本の庶民にとっては、いかに多様で愉しい性生活を送るかが、第一の生存意義(レゾン・デートル)だった。アマゾンの小村とさほど変わりはなかったのである。
それが一言でいえば「遊びは勉強してからにしなさい!」という、明治以降の、西欧化、富国強兵、殖産興業、高度成長、そして教育勅語、修身、芸能スキャンダル雑誌を含むマスメディア、電気や携帯に代表される文明など、もろもろの影響もあってか、性の習俗も変わってしまった。
社会も時代も家族形態も違うのだから、アマゾンや過去の日本をそのまま見習うのは難しいが、若者が恋愛や結婚を諦めるような社会は何か尋常ではない。
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