2024年11月22日(金)

子育ていろいろ 本いろいろ

2017年8月3日

「不審者に気をつけよう」は危険

――考えてみると「不審者」というのは不思議な言葉です。

小宮:不審者という言葉が一般的に使われるようになったのは実は最近です。2001年に附属池田小事件が起こった後、文科省がつくったマニュアルの中で「不審者」が使われました。ただ、そのときの定義はそれほどおかしくなかった。マニュアルの中で使われていた不審者の定義は「学校に正当な目的なく入ってきた者」、つまり不法侵入者ということでした。しかし、これがいったん現場で使われ出すと独り歩きして、マスコミも使うようになってしまった。

――今は「怪しい人」や犯罪者と同じような意味で使われていますね。

小宮:そうです。これは危険なことです。文科省がマニュアルを作る前にも、実は警察の中では「不審者」という言葉が使われていました。事件発生後に、怪しいと目星をつけた多くの人のことを「不審者」と呼んでいたのです。それを数人に絞り込んだ段階で「容疑者」と呼び、さらに、逮捕した時点で「被疑者」と呼んでいました。ここで大事なことは、警察でさえ、不審者という言葉は事件発生後に使っていたということです。今は事件発生前から「不審者には注意」と言ってしまっています。

――よく知られている防犯の常識が実は不正確だった、非常識だった、という例は他にありますか?

小宮:夜道が危険とか、人通りのない場所が危険という考え方ですね。本当に真っ暗な場所では犯罪は起こりません。なぜなら犯罪者も相手が見えず物色できないし、行動が鈍るからです。ある程度明かりがある場所の方がむしろ危ない。また、獲物を探す犯罪者がいるのは人通りの多い場所です。その方が物色しやすいからです。ストーカーでも誘拐でも、人通りの多いところで犯罪者はターゲットを見つけ、後をつけます。犯行が行われた場所が人通りのない場所の場合でも、実際は人通りの多い場所からスタートしているのです。

コミュニティの中で犯罪を考える「修復的司法」

――原因論研究にももちろん意味があると思いますが、原因論の場合、犯罪を加害者と被害者だけのものだと限定してしまう気がしています。加害者あるいは被害者だけに犯罪発生の理由を求めるからです。機会論だと、「コミュニティの中で防ぐ」「社会が防ぐ」という方向に意識が向きやすいように思います。

小宮:そうですね。犯罪が起こると被害者が責められることもありますし、コミュニティも傷つきます。地域全体の人間関係が悪くなっていく。海外では「修復的司法」がすでに行われていますが、これは地域のコミュニティの中で被害者と加害者の間に起こったトラブル・犯罪を考え、被害者のケアや再犯防止につなげる仕組みです。犯罪が起こると、被害者は裁判か修復的司法のどちらかを選ぶことができます。もちろん被害者が「絶対に顔を合わせたくない」「裁判で罰してほしい」と思っていれば裁判を行いますが、直接、加害者により深い反省を求めるために修復的司法を選ぶ被害者もいます。2つ路線をつくっているんです。日本ではまったく知られていない考え方です。

――コミュニティの中で考えることで、マイノリティになってしまいがちな被害者が救われるという意味がありそうです。話が戻りますが、「犯罪者に機会を与えるな」という機会論は「景色・環境の中に機会を発見する」ものですが、一方で特に性犯罪のような場合、「被害者が犯罪者に機会を与えた」と言われがちです。被害者の責任を問う風潮がある。「機会」の言葉が誤解を招くこともあるのではないでしょうか。

小宮:難しい部分です。犯罪は犯罪者が100%悪いのだから、犯罪機会論は良くないという意見も実際にあるようです。確かに被害者にはケアが必要ですし、その責任を言い立てることはあってはならない。ただ、景色に機会が潜んでいるように、実際に被害者が「スマホに気を取られていた」「イヤホンをつけていた」などの事実が「機会」の一つとなることがあります。ですから、被害者を責めてはいけないという理由で、「イヤホンをつけていると狙われやすい」と教えないでいいということにはならないと考えています。

――教え方の問題で、「歩きスマホに気をつけよう」といったことと同時に、「でももし狙われたとしても、それは犯罪者が悪い。自分が悪いと思わずに警察へ届けましょう」までをセットで教えないといけないのかなと思います。

小宮:その通りです。犯罪前と犯罪後を、一緒くたにしないことが大切です。


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