邦楽始めてまずやったこと
石坂敬一会長(以下「石坂」) わたしがまずやったのは、その前からスーパースターだった松任谷由実とか、長渕剛。東芝EMIと既に信頼関係があった人たちとの仕事でした。
で、アーティスト・ロースター(リスト)の強化にまず取り掛かって、引き抜きをだいぶやりました。矢沢永吉さん、忌野清志郎(1951-2009)さん、RCサクセション(忌野清志郎がフロントマン)、それからBOØWY。
ここまで強化しておくと、それぞれアーティストが気に入って録音した曲だったら、企画としてまず通ります。
浜野保樹教授(以下「浜野」) 簡単に仰るけれど、映画界だと昔は俳優は配給会社専属でね、取り合いになるのを防ぐため「5社協定」なんていうものまであった。引き抜きは、それは大変でした。どうやったんですか、石坂さんの場合。
石坂 ウマが合う。これはやっぱり大事。
マネジメントの代表と話して、アーティスト自身と話して、当社(東芝EMI)があなたにかける熱情はこうなんだってことを伝えることですね。
洋楽ビジネスやってて良かったのは、わたしたちとやったら、いずれクライヴ・デイビス(Clive Jay Davis、プロデューサーとしてグラミー賞受賞4回)プロデュースのレコード出せるかもわかりません、とか、ジョン・レノンと…とまでは言えないけど、ジェフ・ベックとツイン・ギターでどうですか、みたいな。
「ええっ!?」って、身を乗り出してくる。「ハイ、一応聞いてみますから」って。そんな会話はしたなあ。
なんにせよ、「共通言語」は必要です。ヘコヘコしてはだめ、居丈高はもっとだめ。
矢沢永吉さんはものすごく居住まいが正しいから、席次なんか日本の伝習に則ってやらないといけないとか、長淵みたいに、酒浸りであるかの如く見せておいて全然飲まない人がいるから、そういうところもね、わかってないと。
ユーミンだったら宇宙の話、っていうような「カルテ」を持ってないとね。
RCサクセション・忌野清志郎は山梨まで追っかけて行って、ご飯一緒に食べたんだけど、そのときクルマの本を持ってった。
清志郎が、ドイツ車が好きだったんですよ。それを知ってたので。
浜野 ご自分の目で判断されるんでしょうけど、「ここだけは譲れない」という一線はあるんですか。