――国内では、政治に関して情報統制が行われていると聞きますが。
中島:確かに、いまでも天安門事件など政治的に敏感なキーワードに関しては検索できません。たとえば今年、ノーベル賞受賞者の劉暁波氏が亡くなりましたが、中国国内での報道はわずかなのに、多くの中国人はこの事実を知っていました。しかし、ウィーチャットに直接「ノーベル賞受賞者の劉暁波氏が死亡した」と投稿すれば問題になりかねませんから、ろうそくの写真だけだったり「さようなら」「やすらかに」などの言葉だけを投稿している人がいました。それが何を意味しているかは皆わかるからです。
また情報統制は、時期にもよります。党大会の期間中などは強まりますが、弱まる時期もあります。さらにたとえば、フェイスブックは基本的に中国国内では接続できませんが、あるソフトを使えば閲覧することもできます。
日本人の感覚からすると、中国の一般人の投稿はすべて監視されているのでは、と思われがちですが、公安がとくに目をつけた人や、影響力のある人などを監視しているだけだと思います。ウィーチャットの利用者は9億人もいますから、すべてを監視することは物理的に不可能だと思います。
――本書を読んでいて興味深かったのは、これまで電車内で靴を踏まれても謝ってもらうことがなかったのに、最近ではそういうことが増え、彼らの意識の変化があるのでは、ということです。
中島:以前を知らない人からすれば、なんで人に謝られたくらいで感動するのか、と思うかもしれませんが、以前の中国ではそういうことはほとんどなかったんです。
その背景には、経済的に豊かになって、心に余裕が出来たこと。また、海外旅行を経験するようになり、自分たちはマナーを知らなかったことや、世界がどうなっているかをわかるようになってきて、視界が開けてきたこともあるのかなと思います。
たとえば、日本を旅行した中国人は、日本人の店員さんに「ありがとうございます」と頭を下げられるとすごく気持ちがいいんです。中国人は、もともと自尊心やプライドが高い人が多いですから。一方、これまでの中国では、その自尊心からか「私はここで働いているだけなのに、どうしてお客であるあなたに頭を下げないといけないのか」という感覚の人が多かった。これは日本人にはあまりない感覚かもしれませんね。
しかし、最近では不況の影響もあってか、飲食店なら味だけでなく、店員の態度やサービスも大事だという意識が強まってきている。サービスに対する考え方や意識も、社会の成熟化とともに、少しずつ変化してきていると思います。
――中国には、さまざまな民族や宗教の人達がいますし、都会と田舎、教育程度でもいろんな人がいるのは理解しています。しかし、私自身、銀座によく出かけるのですが、まだまだマナーが悪い人は正直多い気がします。たとえば、喫茶店で、ものすごく大きい声でスマホで話す人など。電車内などでも話す声が大きい人が多いですよね。なぜなのでしょうか?
中島:まず、銀座にいる中国人観光客は、団体客が多く、海外旅行に慣れていない人が多いので、マナーが悪い人がいるのかもしれません。
中国人が大きな声で話すのは、中国国内の街の雑踏が非常にうるさいため、大きな声で話さないと相手に聞こえなかったり、また、国土が広いので方言も多く、自分の話が相手に伝わりにくいなどの理由があります。以前、田舎のおじいさんに話しかけられた時、あまりの声の大きさに鼓膜が破れるかと思ったこともありました(笑)。
ただ、洗練された人々や若い世代は、大きな声で話すことを恥ずかしいと感じるようになってきています。以前、山手線に乗っていると、目の前におじいさん、おばあさん、お母さん、お父さん、お孫さんという5人の中国人家族が座っていました。おじいさんとおばあさんは、楽しそうに大きな声で話していました。すると、孫がおじいさんの口に手をあてて「静かにして、恥ずかしいじゃない」と注意したのです。孫は、まわりの日本人が白い目で見ているのに気がついていました。