2024年4月26日(金)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2017年12月20日

「事大」と「交隣」

 こうした半島政権と大陸・海洋との関係を、あらためて歴史からみなおしてみよう。朝鮮王朝時代には、大陸側には「事大」、海洋側とは「交隣」という関係をとりむすんでいた。事大とは「大国に事(つか)える」こと、陸続きの中国への朝貢関係をいい、交隣は「隣国と交わる」こと、海を隔てた日本との交際をいう。

 こう並べると、まったく別個の応対だったようにもみえるかもしれない。手続きは確かにそうである。しかし主体たる朝鮮王朝の意識・立場は、唯一無二だった。信奉する朱子学の華夷意識に裏づけられた「小中華」意識がそれである。

 朝鮮王朝は軍事的には弱体であった。朱子学は文を尊び武を卑しむから、これもイデオロギーに合致した体制である。

 また何より中華の尊重が優先したから、それを体現する中国王朝にも、恭順な態度を示さなくてはならない。大陸には軍事的にもかなわないので、適切な対処である。それと同時に、中華を尊び慕うあまり、自らも中華に近づこうとする自意識になり、「東方礼義の国」を自任した。

 だとすれば、「隣国と交わる」交隣は、自らがミニ「中華」である以上、その交わり方がいかなるものであれ、相手を「夷」と蔑むものとならざるをえない。朝鮮王朝は日本や西洋など、海を隔てた国々と対等な交際をおこなった。けれどもその根柢には、濃厚な侮蔑が横たわっている。「小中華」意識のなせるわざであった。

ByoungJoo/iStock

 同じことは、元来が「夷」だった満洲人の清朝に対してもいえる。清朝は中華王朝の明朝を後継し、しかも軍事力で優位にあったため、朝鮮王朝は「事大」の関係を続けた。しかし心底では、清朝を「中華」と認めていない。いわば面従腹背だったのである。

 半島の政権はこのように同一の歴史的なメンタリティ・性格を有しながら、地政学的に大陸向けと海洋向けとの、相反する関係をもっていた。そうした相反性が近代の国際政治を通じて、南北の分断に至ったわけである。

北朝鮮と韓国は「一卵性双生児」

 つまり北朝鮮とは、大陸と関係の深い「事大」的な政権であり、朝鮮戦争で中国義勇軍によって支えられたのは、それを象徴する史実であった。他方、韓国は「交隣」の海洋側についた政権であり、米軍に支えられ、なおかつ大陸とは隔たって「事大」を払拭できる位置にある。いわば北朝鮮は「事大」を現代化した国家、韓国は「交隣」を現代化した国家なのである。

 北朝鮮は現在、中国にしたがわず独自路線をつきすすんでいる。「事大」国家であるはずの政権が、その歴史に背を向け大陸に歯向かうので、「暴走」になってしまう。

 韓国もその点は同じ。「交隣」国家であるはずの政権が、その歴史に背いて「反日」「反米」を隠そうとしないので、「迷走」に陥っている。

 朝鮮半島の政権は、元来「小中華」だった。北の中国・大陸に対して面従腹背、南の日米・海洋に対しては対等蔑視という歴史を持っているから、「暴走」も「迷走」もかれらの立場からすれば、ごく自然なビヘイビアなのであろう。韓国と北朝鮮はこうしてみると、むしろ朝鮮王朝以来の「小中華」にもとづく世界観と行動様式を共有する一卵性双生児といえるかもしれない。


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