尖閣をめぐって巻き起こる賛否の議論
石原慎太郎東京都知事がさる4月17日(日本時間)、尖閣諸島の一部を都が買い取る意向をワシントンで表明して以来、賛否こもごも大きな議論を呼んでいる。
国内の大方は石原都知事の言動に肯定的で、最近では日本政府が都の購入に先んじて、国有化をすすめる意向を示した。
それに対し、東京都や政府の姿勢を批判するマスコミは少なくない。また政府内部でも、丹羽宇一郎在中国日本大使が同じ立場から、都の尖閣購入に懸念を表明した。現職大使のそうした発言は大きく取り沙汰されて、その更迭説すら流れたことは記憶に新しい。
その理由はともに、明らかである。賛成の意見は、日本固有の領土である尖閣諸島の実効支配を強め、中国の脅威から守ろうというもの、反対の意見は、中国との新たな摩擦を生むような行為をすべきではないというものだ。いずれも、近年来の尖閣諸島に対する中国の言動がその前提にあることで、共通している。
中国の言動というのも、くだくだしい説明は必要あるまい。尖閣諸島に対する領有権の主張、およびそれにともなう挑発的・攻撃的な船舶の派遣や領海の侵犯などの行為である。日本人からすれば、尖閣問題を問題化させ、日中の摩擦を生む原因を作っているのは、一方的に中国の側にあって、日本ではない。
もっとも当の中国側は、それを「日本の挑発」によるものと称する。尖閣諸島の購入に賛否いずれの立場であれ、これに違和感を覚えない日本人は、おそらくいるまい。「挑発」しているのはそちらだろう、といいたいのが率直な感想である。またぞろ力に恃(たの)んだ理不尽な中国の自己主張だと断ずる向きが多いかもしれない。
中国の理不尽、その深層
こうした自己主張は、中国の大国化と日中関係の緊密化にともない、日本人も耳にする機会がとみに増えた。そのぶん慣れてしまって、奇異に感じなくなったかもしれない。筆者はそんな感覚の麻痺をひそかに恐れている。
一方的、理不尽なのはそのとおり、しかしそれだけで片づけては、たがいに相手の非を鳴らし、相乗的に憎悪をかきたて、果てしない争いしか生まない。そんな陥穽におちないためにも、その理不尽がどこに由来するのか、深層に立ち入った理解が求められよう。