野田佳彦首相は7月7日、沖縄県・尖閣諸島の国有化を目指す意向を表明した。東京都の石原慎太郎知事が都として地主から尖閣を購入する計画を進めていることを受け、「平穏かつ安定的に維持管理する観点」(野田首相)からの判断だ。
これに対し、中国外務省は同日、「日本側のいかなる一方的な措置も不法で無効」との報道官談話を発表。11、12日の両日には、中国は漁業監視船を尖閣諸島周辺の日本領海内に侵入させる示威行動を行った。
その後、日中両国はにらみ合いの状態だ。中国側の思惑と今後の出方を探りながら、尖閣国有化の行方を考えてみたい。
盧溝橋事件の日に国有化の意向を表明
日中戦争が本格化するきっかけとなった盧溝橋事件を中国では「七・七事変」という。1937年7月7日に発生したからだが、野田首相が尖閣国有化の意向を表明したのは、まさに事件から75年後のその日だった。
尖閣の領有権を主張する中国の市民グループ「中国民間保釣(尖閣防衛)連合会」のメンバー約20人は当日、北京郊外の盧溝橋で集会を開き、「日本はなぜ盧溝橋事件のこの日にわれわれを刺激するのか」(李文代表)と抗議した。
野田首相はわざわざこの日を選んで、国有化の意向を表明したわけではない。朝日新聞が7日付朝刊で「尖閣、国有化の方針 政権、都知事に伝える 地権者側とも交渉」の特ダネを掲載。日本の各メディアが後追い取材をし、首相がその事実を認めたのだ。
朝日新聞も首相官邸も盧溝橋事件の日だとは、気付いていなかったのだろう。
日中の有識者は衝突回避で一致
国有化の意向が表面化する前、中国は石原氏の購入計画にはかなり自制的だった。7月初め、日中の有識者が集まって都内で開かれた「東京-北京フォーラム」でも、中国側の参加者は一貫して、日中友好の大局を重視する姿勢を示していた。