* 第1回「メガヒット「踊る大捜査線」が日本映画を変えた」から読む方はこちら
浜野保樹(東京大学大学院・新領域創成科学研究科教授) 前回名前が出た大森一樹さんの「オレンジロード急行」って、城戸賞の第3回、1977年の受賞作ですね。
その城戸賞に名前を残した映画草創期名プロデューサーの城戸四郎が、ラジオの普及し始めた1937年に、アメリカと日本の映画市場について比較して書いたものがあるんです。
それによると、アメリカ人は平均して年間35から40回、映画館に足を運ぶ。それに対して日本人は4回だ、と。いまこの数字、アメリカは5回、日本は1回になってる。
アメリカは本来巨大な田舎みたいなところで、地方に行くと娯楽は映画館に行くことしかないって町がいっぱいあり、日本と単純比較はできないとはいっても、昔っから映画館にあまり行かないんですよ、日本人って。
亀山千広(フジテレビジョン取締役、映画事業局長) 浜野先生ねえ、僕つくづく思うんだけど、産業の仕組み自体変えないと、壁は突破できないってところにもうだいぶ前から来てるんだと思うんです、映画って。
じゃあ、誰がその仕組みの変革者になるんだって問い立てたとき、オレか? と(笑)。
でもこれに僕、「そうです僕です」って、言いきれない。なぜって僕にはテレビって安全地帯がありますから。戻って来られる場所が。
城戸さんは、戦前松竹の黄金時代つくった根っからの映画人です。この次、映画の変革成し遂げる人は、やはり映画人以外にないんじゃないでしょうか。
例えば映画の値段です。一律規制価格で決まってる。でも、100億円かけてつくっても、2~3億でつくっても、額面価格は同じ1800円っていうのは、実質オープン価格と同じですよ。しかも割引制度がいろいろあって、実質平均単価は1200円っていう数字見せられるとね、よけいそう思う。
かといって100億かけた映画は5000円以上取れるかといったらそんなことはないんだから、だったら一律1000円に下げてしまえば、って意見は、あるにはある。
でも僕は、それを自分が旗振って、変えていけるとは思えない。どこかで僕ら、映画産業に対して責任取りきれないと思ってるところがあるんです。卑怯な態度だろうかと、自分で思うことがないわけじゃないですが。
それから昔だったら、客の入りが悪くてもきっちり1日4回かけててくれた。そこが今はシネコンの個店判断になってて、どんどん回数減らされてしまいには夜1回だけにされたりもしてる。じゃあ、普通の物販業みたいに、メーカーがお店回って販促していいか、っていうと、それはダメ。
テレビがつくった映画をキー系列の地方局が総動員で宣伝に回った、それができないところに比べて不当な差がついちゃうからかもしれない。
こんなふうに、商品の値決めからしていろんなところに理不尽さが残っているマーケットだと僕は思うんですよ。でも、テレビにいたんじゃ、そこの改革者になりたくてもならせてもらえない感じがある。