2024年12月14日(土)

オモロイ社長、オモロイ会社

2018年2月9日

 ベンチャーが挑戦するには難しいとされる製造業、そのなかでもケミカル産業に、今までの技術とは全く違ったプロセスで世界を変革しようと、「マンションの一室から事業をスタート」したという、マイクロ波化学の吉野巌社長に話をうかがいました。

 吉野さんは、1967年大阪生まれ、3歳までは大阪だったそうですが、東京や海外で過ごしました。高校・大学時代にアメリカンフットボール部に所属し、「勝つことは全て、勝つことが唯一」を叩き込まれたそうです。

 大学を卒業後に三井物産に入社し、化学分野の担当でトレーディングの部署に配属されました。組織で動くというよりも、トレーダーとしての「個」の世界を見ることになりました。大手商社に所属していても、化学業界のトレーダーは個人の信用が大事が第一の「切った張ったの世界」です。

 サラリーマン社会との違いを感じ、組織人を求める会社とに「差」を感じ始め、社会人10年で、先の見えているサラリーマン、やりたくない仕事をやるのはもう止めようと思い、退職の道を選びました。そしてもう一度勉強しようと、自費でMBA取得にカルフォルニア大学バークレイ校へと通うため移り住んだそうです。

吉野さん(右)と塚原さん(左)と、社員の皆さん

インスパイアされた米国 ベンチャーが面白いと思った

 変わった人に出会ったシリコンバレー、まさにカウンターカルチャーの名残がそこにはあり、多様性の容認という部分から米国の広さを感じ、インスパイアされたと話します。

 個人ができることが大きいことも感じたそうで、まさに小さな組織でも大きな変革ができることを確信したそうで、大手企業である理由は何もないと思ったそうです。

 MBAを取得後も米国に残り、マーチャント・バンク(ベンチャー支援をする会社)で仕事をさせてもらい、米国〜カナダの企業とりわけ環境・エネルギー分野のベンチャー興味を持ち見聞を広げていたそうです。

「半分プータロー生活も同然でした、この頃お金が大して無くても人間生きていけるもんだぁなと思いました」と、吉野さんは笑います。

 この環境・エネルギー分野の中で、バイオエタノールの技術系ベンチャーの手伝いをすることになり、日本と米国とを半々で生活している最中、大阪大学でマイクロ波の研究をしている塚原保徳さんと出会い、マイクロ波化学の共同創業に繋がっていきます。

軍隊みたいなところからイノベーションは生まれない

 「個」を重要視し、サラリーマンを辞め起業の道に進んだ、吉野さん。「軍隊みたいなところからイノベーションは生まれない、規律、規則で雁字搦めの日本企業からは画一的なことは上手にできるが、まさに革命的な革新は生まれません」と言います。

 実際に、会社運営についてお聞きしても、「たしかに当社には高学歴な人が多い、しかし、従業員間で大学の話も一切ないし聞いたこともない。逆に無茶振りに近い仕事を依頼している、全員がやりたい! と返事をもらえること、NOはありません」とも。

 皆さん会社が好きで集い、しかも組織が「フラット」であること。人材登用でも、元保母さんが人事責任者に、行政の案内係の方が広報担当に、過去の仕事も全く無視。吉野さんの機会を創り与え人としての成長場面もこの会社の強さに繋がっているのだと思います。

マイクロ波化学とは?

 IT企業では、急速な事業拡大、それに伴う短期間での上場が可能です。それに対して、時間とお金がかかるモノづくりベンチャーは、立ち上げることから難しいというのが常識です。さらに、全く新しい技術で巨大産業である化学産業にチャレンジするとなると、相当ハードルが高くなります。

 そして、電子レンジにも使われる「マイクロ波」を産業で実用化することは難しいとされてきました。それにチャレンジしているのがマイクロ波化学です。あえて厳しい障壁を壊すことで、「世界にインパクトを与えるビジネスで勝負する」という想いで、ヴィジョンである、「Make Wave, Make World(世界が知らない 世界をつくれ)」を実現しようとしています。


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