運河と夜景で北海道を代表する観光都市になった小樽は、
貿易港として栄えた第二次大戦前の街並みが今に残る。
1934(昭和9)年の駅舎が今も大事に使われる小樽駅で、
2003年2月に誕生した、ウニとイクラが光り輝く駅弁。
小樽の夜景は美しい。新千歳空港や札幌からの快速電車を小樽駅で降りると、まずはプラットホームの屋根や駅舎の窓が光っている。1934(昭和9)年に上野駅を模して建てられた重厚な駅舎(現在は修復工事中)を背に市街に坂を下れば、数十年の時を刻んでいるであろう、あるいはそれらの建物を模して石材や赤レンガを貼り付けた灰色や茶色の建物が、電飾やライトアップで光を放つ。そしてその反対の方角へ路線バスやロープウェイで坂を登ると、眼下には白色や黄色の星が散らばる。
北海道の三大夜景は函館・札幌・小樽とされる。小樽で夜景の光を発する市街地は、東西南の三方向を山に、北を海に囲まれた、限りある面積に展開している。函館山と沿岸の海流に導かれた手前の旧市街から郊外の奥へと羽を広げる函館の夜景や、石狩川流域の平坦地で視野の限りに広がる札幌の夜景に比べて、小樽の夜景には光の粒を凝縮した宝石箱のような味わいがある。
味も見た目も楽しめる贅沢の極み
(小樽駅構内立売商会)
そして小樽には、この夜景を表現した駅弁がある。2003(平成15)年に登場し、現在は小樽駅で一番の人気を集める駅弁「海の輝き」が、それである。弁当箱を包む包装紙には、海から撮り水面に反射する夜景が写真で描かれる。その包装紙を外すと、透明なふたの先には食材の夜景が広がる。赤色のイクラは大粒で、口にすっと溶けていく。橙色のウニは豊かに長方形の容器を埋め、香りと舌触りでふんわりと広がる。黄色の炒り卵は光を浴び、視覚と味覚で海の幸を引き立てる。容器に敷き詰めた酢飯を覆い尽くす輝きが、ここにある。
繁栄から衰退・・・そして、再びの脚光へ
当たり前の話であるが、小樽の市街は夜景の光を出すためにあるのではない。第二次大戦前の小樽は、経済都市として札幌を凌ぐ繁栄を誇っていた。1880(明治13)年には鉄道が通じ、防波堤の築造や海岸線の埋立により港湾が整備された。ここから道産の石炭や農林水産物が積み出され、街はニシン漁や内航海運に加えて、ユーラシア大陸との貿易で栄えた。そして市街には、石造りやレンガ造りの銀行建築や倉庫建築が建ち並んだ。
小樽の駅弁も、昔から観光客向けに輝いていたわけではない。第二次大戦後に高度経済成長期を迎えるまで、駅弁は鉄道で長い時間を移動する旅客に対して、腹を満たすために提供されるという性格が強かった。その頃までの小樽駅には、半日や一日をかけて函館と札幌や以遠を結ぶ列車が多く発着していた。これらの列車の乗客に対して、小樽駅ではかつての国鉄が「普通弁当」と定義した幕の内弁当と助六寿司が売られていた。