堂島米商い、つまり堂島米会所は、享保15年(1730)にあの「暴れん坊将軍」、「米公方(こめくぼう)」ともいわれた第8代将軍・徳川吉宗さんの肝入りで開設された、大阪のお米の取引所です。日本中のお米や物産が藩ごとの蔵屋敷に送られ集まる天下の台所、大阪に、お米の価格などを安定させるために創られました。その取引(※)は建物の中ではなく、ここ建物の前の広場で行われていたのです。
※取引は各藩の蔵屋敷が発行する米切手を仲買人の間で売買するもの。 さらに帳簿上の架空の米を売買する先物取引も行われていた
江戸幕府が公認した、大阪生まれのこの取引の仕組みと知恵は、日本国内にとどまらず、世界の商品取引所の先駆けとなったとされています。しかも堂島では、現在にも通じる先物取引がすでに存在していました。即ち「投機筋からリスクヘッジまで」行われていたので、当然取引はヒートアップします。
取引は時間を厳格にするために、「2寸(約6センチ)の火縄に火をつけて、燃え終わるときが終了時間」と定められ、取引の正当性、明確化が維持されていました。
終了時間をとっくに過ぎても売買を続ける、その燃え盛る熱気の中に登場するのが水方役さん。鉢巻まいて、着物の裾をはしょって、手桶を片手に勢いよく水を掛け、撒いています(⑤⑥⑦)。現れた8人の〝水掛部隊〟は、取引所の職員さんです。この水方役さんたちが、勢いよく柄杓で水を掛けると、取引は強制終了。彼らは市場の正確なタイムキーパーを務めていたのです。
それにつけても広重さん、世界に通じる商売の極意「あきない」(飽きない)をタイトルに掲げるなんて、さすがでございます。
【牧野健太郎】ボストン美術館と共同制作した浮世絵デジタル化プロジェクト(特別協賛/第一興商)の日本側責任者。公益社団法人日本ユネスコ協会連盟評議委員・NHKプロモーション プロデューサー、東横イン 文化担当役員。浅草「アミューズミュージアム」にてお江戸にタイムスリップするような「浮世絵ナイト」が好評。
【近藤俊子】編集者。元婦人画報社にて男性ファッション誌『メンズクラブ』、女性誌『婦人画報』の編集に携わる。現在は、雑誌、単行本、PRリリースなどにおいて、主にライフスタイル、カルチャーの分野に関わる。
米国の大富豪スポルディング兄弟は、1921年にボストン美術館に約6,500点の浮世絵コレクションを寄贈した。「脆弱で繊細な色彩」を守るため、「一般公開をしない」という条件の下、約1世紀もの間、展示はもちろん、ほとんど人目に触れることも、美術館外に出ることもなく保存。色調の鮮やかさが今も保たれ、「浮世絵の正倉院」ともいわれている。
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