「熱海がV字回復している」――。数年前からメディアなどでそう言われることが増えている。昔ながらの温泉街、かつての新婚旅行や社員旅行での定番の行き先、でもその後は廃れていった……。多くの人はそんなイメージを抱いているのではないだろうか。しかし、平日の日中に降り立った熱海駅は、たくさんの人で賑わっていた。高齢者だけでなく、若者のカップルやグループ、家族連れも目立ち、まさに老若男女が集まる観光地。なぜ熱海に再び人が集まるようになったのか。2006年に市長に就任し、現在4期目に突入した齊藤栄氏に話を聞いた。
熱海の『宝』の良さに改めて気づき、その価値を高めた
「熱海の宿泊客のピークは昭和44年、532万人でした。そこからはほぼ一貫して減少の一途をたどります」(齊藤市長)。
バブル景気で一時持ち直したものの、東日本大震災のあった2011年には247万人まで落ち込んだ。しかしそこからは4年連続で増加し、2015年には307万人と13年ぶりに300万人を突破、以降もその数値をキープしている。一体どんな施策を打ったのだろうか。
「一番大きかったのは、熱海梅園とあたみ桜という、熱海の『宝』の良さに改めて気づき、その価値を高めたことです」(齊藤市長)。
熱海の梅はなんと11月には咲き始める。桜も河津桜よりも早くクリスマスの頃には咲くそうだ。ただ、他にはない貴重な観光資源だったにもかかわらず、梅園は明治19年の開設から大規模な改修もされず、老木化が進んでいた。あたみ桜も、駅から徒歩圏内の糸川遊歩道沿いに色々な種類の花木が脈絡なく植わっており、印象に欠けるものだった。それらを熱海に縁のある大塚商会の名誉会長である大塚実氏の支援によって大規模改修が実現した。齊藤市長は、これが最初のきっかけだと考えている。
「2011年から『シティプロモーション』施策を開始しました。2012年からは『ADさんいらっしゃい!』といって、AD(アシスタント・ディレクター)や制作部を全面的に支援し、ロケ誘致を推進。ドラマ・映画のロケ地となることで、観光客も徐々に増えていきました。また、ソムリエの田崎真也氏が特別招聘審査員として名産品を認定する事業も開始しました。認定率約50%と、行政主導らしからぬ「厳しさ」で、熱海のブランドイメージアップを図ってきました。
これらの施策によって「熱海ブランド」が高められ、プロモーションがうまくいったことで観光客が戻ってきたのでは、という指摘をされることが多いのですが、その前提として、熱海にある良いものに改めて気づき、その価値を高めていったことが大きかったのではと考えます。それなしには人は戻ってこなかったのではと思うのです」(齊藤市長)。
磨きをかけたことで、それが売り物となり、初めてプロモーションの意味をもつ。実は齊藤氏が市長に就任した当初、市は約41億円もの不良債務を抱えていた。夕張市の破たんは多くの国民の知るところだと思うが、熱海市も同様の危機下にあったと言っても過言ではない。危機感を強くもった齊藤市長は、まずは財政の立て直しを最優先に取り組む。歳出カットのために、市庁舎の建て直し、駅前広場の建設、再開発事業など公共事業はいったん取り止め、約4半世紀ぶりとなる水道料金の値上げ(2007年に6%、2年後には9%) 、さらにゴミ袋の有料化など、市民にもすべからく負担をお願いした。そのような状況で観光事業の立て直しにまだ手がつけられない中、取り組めた梅と桜というコンテンツの強化が後々生きてきたのだという。