ところで、われわれ政治学者にとってとりわけ興味深いのは、最低収入額の決定過程である。幸い、経済紙の「財経第一報」などにより、現時点では次のような過程が判明している。
個人所得税の税制改正は、今年の年初から議題に上っており、国会に当たる全国人民代表大会(全人代)常務委員会が4月、改訂法案を検討した。そこでは最低収入額は3000元に引き上げとされたが、常務委員会では批准されなかった。個人所得税改正について1カ月の期限を切って意見を募ったところ、公式サイトに8万に達する意見(うち83%が原案に反対)が寄せられたという。
ところが、続く6月の常務委員会でも引き上げした額を3000元として審議が行われたことで、全国的に不満の声があがった。審議過程では専門家から5000元にとの意見もあったほどである。そこで、全人代の法律委員会は28日と29日の2日にわたり会議を開催し、30日の最終案では3500元としたのであった。
発表日は共産党の90周年記念日
では、以上の減税策とその決定過程から、何が導き出されるだろうか。
まず、この減税策が決定、発表されたタイミングに注目したい。6月末に決定、7月1日発表というのが意味を持つ。この日は中国共産党成立90周年という重要な記念日であり、北京―上海間の新幹線開通もこの記念日に合わせ、突貫工事が行われたのであったことはよく知られていよう。
また、最低収入額が3000元から最後の瞬間に3500元となったのは、引き上げ幅が小さいとの不満に対応するため、政治判断が行われた結果であることに間違いあるまい。当局は対外関係で見せる強面(こわもて)とは裏腹に、国民の不満に対して、意外と脆弱なのである。この点は温州の鉄道事故での賠償額の引き上げや大連の化学工場に対する住民の移転要求に市当局が速やかに応じた事例などでも見られたとおりである。
低所得者層が個人所得税を払っていないからと言って、税金をまったく払っていないわけではなく、消費税(中国語では増値税)など間接税は負担している。しかしながらやはり個人所得税のシンボリックな意味合いは大きい。当局としては記念日に合わせ、住宅ローンやインフレに苦しむ人民に恩恵を与える、慈父のように振る舞おうとしたのであろう。
遠のく民主化シナリオ
確かに外国人が一見したところでは、ギリギリの政治判断による国民への大きな譲歩を行ったようにも見える。しかし、個人所得税が税収全体に占める割合は、2010年度では6.6%を占めるにすぎず、中央政府にとって、今回の個人所得税の減税は、なんら痛痒を感じないと言っても過言ではあるまい。
角度を変えると、低所得者層からの徴税作業は手間暇かかる割には、額は極めて小さい。つまり、課税対象者を捕捉する能力があったとしても、徴収コストが引き合わない。極端に言えば、日系企業のように取りやすいところから取ればよいのであって、むしろ、最低収入額の引き上げは政府にとっても望ましい政策なのである。