したたか者の流儀

2018年12月16日

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ベイルート(Anna_Om/Gettyimages)

 このところ、レバノンとブラジルという国名が日々連呼されている。ともに日本から遠い国なので、なじみは薄い。ブラジルに関しては、群馬県などにはコミュニティーがあり、また前回のオリンピックのお陰で情報は多いがレバノンとなると皆目イメージが湧かないのではないだろうか。

 レバノンでは、1980年代通じて内戦があり凄惨を極めたが、それ以前は中東のパリといわれ欧州への途中に立ち寄ったビジネスマンも多かった。40年も前なので、既に鬼籍に入られている方も多いだろう。

 東京オリンピックの時の聖火は、レバノンの首都ベイルートを経由しているが、それを知っている人少なくなったことであろう。今回もギリシャから出る聖火はベイルートを通過のだろうか、JALは既に飛んでいない。

 そのベイルートを内戦終結以降の90年代に何度も訪問しているので、先週来の話題の主、日産のカルロス・ゴーン元CEOには、シンパシーを感じていた。とりわけ彼の元の住居があった地域には、有名なアル・ブスタンホテル(花園ホテルという意味だろう)があり何度も泊ったことがあるので、なおさらのことだ。そこで、レバノン通としては、黙っておけずに一言となる。

 そもそも、レバノンはフェニキアとよばれアルファベットの原型であるフェニキア文字を使う貿易商人の国。シリア人と並んで、商業をさせたら秀逸といわれるひとびとだ。同根のアレッポ商人は3桁のかけ算を暗算でこなすそうだ。

 シリア人と人種的にも同じと考えてよいのではないだろうか。中東の大国から飛び出した華やかで豊かな国という意味で、シリアとレバノンは、イラクとクウェートの関係にやや似ている。

 また、シリアとレバノンはフランス支配を受けたこともあり、教育言語はフランス語であり、カルロス・ゴーンもフランスの最高学府を難なく卒業している。

 古来すべての十字路で宗教もレバノンではイスラム教だけではなく、キリスト教も互角となっていた。宗教対立が80年代の内戦の原因の一つでもあるが、お陰で隠微な文化をこの地に花開かせていた。

 ロンドンが寒村であったころ既にガス灯がともっていたと読んだことがある。風光明媚で、高い山を背にして気候温暖、高地ではパウダースノーでスキーを楽しみ、翌日には海岸で水上スキーが可能な土地柄だ。

 食事も美食、グルメ度は高く最高水準。長く不在にするとベイルートに行きたいと思ったことも一度二度ではない。しかし、一発の銃声から始まった内戦は、フランス外人部隊、米国海兵隊などの精鋭が投入され収拾が付かなくなったのが、80年頃からだろうか。当初は安全地区があり、文化的な生活ができていたが、その後は乱闘状態となり、沖縄戦の犠牲者に近い数の人が命を落とす内戦となってしまった。

 内戦終結直後、ベイルートで日本大使にご挨拶に伺うと、歓待していただいた。大使によると内戦中、日本大使館は、実務をシリアのダマスカスに移動していたそうだ。最後まで頑張ったスペイン大使はベイルート移動中に、西ドイツ大使は執務室で殉職されたと聞いた。そんな国からは、多くの人が、難をのがれてブラジルやオーストラリアなど他国に移住している。

 カルロス・ゴーンは、更に若い頃にブラジル移民しているようだが、竹馬の友を多くこの内戦で亡くしている世代である。

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