チャイナ・ウォッチャーの視点

2019年1月10日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

「有力なカネヅル」ではなくなった日本

 日中両国の対外政策を海洋大国建設(2012年秋)、安倍ドクトリン(2013年1月)、一帯一路(2013年秋)と時系列で並べ、その後の展開をみると、時に注目したいのが、安倍ドクトリンの「3.自由でオープンな、互いに結び合った経済関係の実現」で言及する「メコンにおける南部回廊の建設など、アジアにおける連結性を高めんとして日本が続けてきた努力と貢献は、いまや、そのみのりを得る時期を迎えています」との件である。

 それまでも日本はミャンマー、ラオス、カンボジアなどのメコン流域諸国の貧困救済を軸に多くの予算を投入してきた。ADB(アジア開発銀行)を通じてメコン流域の社会経済開発に投入された多額の援助もまた、その一環といえよう。安倍ドクトリン発表当時、確かに「そのみのりを得る時期を迎えて」はいた。だが、「そのみのりを得」たのは中国ではなかったか。

 カンボジアにせよラオスにせよ、ましてやミャンマーであっても、その後に飛躍的に増大する中国の存在感に較べ、残念ながら日本のそれは小さいと言わざるをえない。ならば黒田日銀総裁がADB総裁当時に内外に強く打ち出していたメコン流域開発への積極的資金投入は、サッカーでいう自殺点(オウンゴール)であり、“利敵行為”に近かったように思う。

 2018年11月末にメコン流域の中心ともいえる中国、ラオス、ミャンマー、タイが国境を接するゴールデン・トライアングルと呼ばれる一帯で、関係4カ国武装部隊による共同治安訓練が行われた。じつは中国は東南アジアの内陸部の一角で7年前から関係3カ国を従えて河川警備を進めてきたのである。メコン流域を東南アジア大陸部をネットワークする物流の幹線ルート――それはまた東南アジア大陸部における一帯一路にとっての重要な柱でもある――と捉えるなら、メコン流域警備の主導権は中国にとっては何物にも代え難い「みのり」といえるだろう。

 はたして中国の「みのり」を凌駕するほどの「みのり」を、日本は手にしただろうか。やはり首を傾げざるを得ないのだ。

 想像するに、安倍ドクトリンの根底には1977年当時の福田首相が訪問先のマニラで打ち出した福田ドクトリンがあったに違いない。福田ドクトリンでは、(1)日本は軍事大国にならず世界の平和と繁栄に貢献する。(2)ASEAN(東南アジア諸国連合)各国と心と心の触れ合う信頼関係を構築する。(3)日本は対等のパートナーと位置づけるASEANの平和と繁栄に寄与する――ことが謳われていた。

 福田ドクトリンにせよ安倍ドクトリンにせよ、日本がASEANとの関係を極めて重視していることは多言を要しない。同時に福田ドクトリンがその後の東南アジアにおける日本官民の影響力拡大に大きく寄与したことも明らかだ。だが、ここでASEANを取り巻く国際環境の激変という紛れもない事実に向き合うべきではないか。福田ドクトリン当時には国境を閉じていた中国は、それから2年ほどが過ぎた1978年末に対外開放に踏み切っていたのである。

 じつは中国が国境を閉じていた30年ほどの間、官民を問わず日本とASEANとの関係を定めるモノサシの多くは日本主導で取り決めることができた。ASEANもまた、地域の安定と繁栄にとって日本(もちろん、その背後のアメリカ)との関係がカギであることを知っていた。敢えて刺激的な表現を使うなら、ASEANにとって日本以外に有力なカネヅルはなかった、ということだ。だが、今や中国との関係が極端に重要度を増しているのである。これを言い換えるなら、“熱帯への進軍”を本格させた中国との関係をどのように調整・構築するかが、ASEANにとっての死活問題になったということになる。

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