ユーラシア大陸の国々を陸路と海路とで結んで巨大なネットワークを築こうという一帯一路は“超巨大な大風呂敷”に過ぎず、財政的にも早晩破綻する。中国は「双嬴(ウイン・ウイン)関係」を掲げ相手国に接近するが、とどのつまり相手国は借金漬けに陥るのが関の山である、という見方がある。その一方で、昨年末にイスラエル最大のハイファ港のターミナル近代化と25年の運営権を中国が獲得した点からも、中国主導による新たな国際秩序構築が着実に進展しているとの声も聞かれる。
いずれにせよ、一帯一路が2019年における米中対立の主戦場になり、東南アジア政策を中心とする今後のわが国の対外路線にも大きくかかわってくることは間違いないだろう。そこで改めて一帯一路の歴史を振り返り、「中華民族の偉大な復興」に込められた意図を考えてみたい。
「安倍ドクトリン」が目指したもの
習近平国家主席は政権が発足して1年ほどが過ぎた2013年9月、訪問先のカザフスタンにおいて中国を起点にカザフスタン、キルギスタン、タジキスタン、イラン、トルコ、ウクライナ、ロシア、ポーランド、ドイツ、オランダなどを結んだ経済協力機構を構築し、ユーラシア大陸の東と西を中国主導で結び付ける「シルクロード経済帯」構想を打ち出し、その1カ月後、インドネシア国会において中国とASEAN間の海洋上における協力強化を軸に、さらにインド、スリランカ、アフリカ東部、紅海沿岸、ギリシャ、イタリア、フランスを結んだ「海のシルクロード」構想を発表した。
「シルクロード経済帯」と「海のシルクロード」の両者を結びつけた構想の拡大版が一帯一路となる。これが、習近平政権が掲げる一帯一路に関する一般的な理解と考えて間違いないだろう。
ここで、習近平政権と前後して成立した安倍政権が打ち出した「開かれた、海の恵み ――日本外交の新たな5原則――」を振り返ってみたい。
「安倍ドクトリン」と通称される対外方針は、首相に返り咲いて最初に訪問したヴェトナム、マレーシアに続くインドネシアで、2013年1月に内外に向けて華々しく発表される予定だった。だが、アルジェリアで日揮プロジェクトに対するテロ事件が発生したことから緊急帰国を余儀なくされ、首相自身の肉声で内外に向けて語られることはなかった。
安倍ドクトリンは「万古不易・未来永劫、アジアの海を徹底してオープンなものとし、自由で、平和なものとするところにあります。法の支配が貫徹する、世界・人類の公共財として、保ち続ける」ことこそが「日本の国益」であるとし、「日本外交の地平」を拡大するための「新しい決意」を支える以下の5原則を挙げている。
1.人類の普遍的価値である思想・表現・言論の自由の十全な実現
2.海洋における法とルールの支配の実現
3.自由でオープンな、互いに結び合った経済関係の実現
4.文化的なつながりの一層の充実
5.未来を担う世代の交流の促進
以上を基本にして日・米・印・豪を結んでの「中国包囲のセキュリティー・ダイヤモンド戦略」の構築を目指したように思う。
発表時期と内容からして、安倍ドクトリンが2012年秋の共産党大会で胡錦濤総書記(当時)が打ち出した「海洋大国建設」のみならず、地域覇権を超えて国際政治ゲームのルールを自らが作るとまで豪語していた中国への牽制を狙っていたであろうことは想像に難くない。