ソフトウェアの血
米国という明確な目標があって、その目標に追いつき追い越すことに成功した日本の製造業は、かなり保守的になっていて「モノづくり」という成功体験から離れることができないようです。すでにコンシューマ向けの製品の競争のパラダイムは、生産の力からソフトウェアの力にシフトしています。しかし、これまでハードウェアの価値の向上に集中してきた製造業は、ソフトウェアの重要性を理解できないまま投資を怠ってきました。
世界の企業の時価総額のランキングにモノづくりの企業はほとんどなく、日本企業ではトヨタ自動車が四十数位に入っているだけだと、小林氏も指摘しています。その自動車産業も、電動化という大きな変革期に差し掛かっています。
電動化によって、日本の自動車メーカーが競争優位を確立してきたエンジンの代わりにモーター、インバーター、バッテリーが駆動のプラットフォームになり、これまでの部品の多くが不要になって部品点数も大幅に少なくなります。自動車のバリューチェーンが短縮化され大きく変化することになります。トヨタにとって、それがジレンマであるだけでなく、テスラを見ればわかるように電気自動車はソフトウェアとの親和性が高く、その重要度が増すという驚異でもあります。
自動車産業の競争のパラダイムは、自動技術や、シェアリングなどのサービスのためのクラウドシステムやスマホアプリといった幅広いソフトウェアの力に移りつつあります。デジタルカメラは、非常に小さなカメラモジュールというハードウェアのスマートフォンに敗北しましたが、画像処理のAIやクラウドの写真共有サービスといったソフトウェアの力に屈したのです。
成功した企業はイノベーションのジレンマに陥り、自らを変革することができません。株主優先の古い米国式経営を手本とし、目先の利益と効率を追求してきた経営者は、無駄と一緒にイノベーションの芽を摘み取ってしまっただけでなく、その人材を潰してきました。組織の中で人材は熱意を失い、あるいは流出してしまっています。
「劣化は老いから始まったと思います。考えない。新しいものに果敢に挑み、切り開くエネルギーも枯渇してきました」という小林氏の言葉には、多くの人が賛同すると思います。老いた日本の製造業には、ソフトウェアの血を輸血する必要があります。しかし、その製品事業をソフトウェアの力でどのように変革するかという具体的な方向性を示すことができる人が企業の意思決定に参画していなければ、ソフトウェアエンジニアを大量に採用したり、ソフトウェアのベンチャー企業を買収したりしても、流血がさらに酷くなるだけです。
日本経済の新陳代謝
米国も中国も、経済は若い企業が牽引しています。米国では戦後の資本主義経済の浮き沈みのなかで、人材や資本の流動性が生まれ、経済の新陳代謝が可能になりました。新しい企業が生まれる中国の都市は、まるで戦後の日本のような熱気に満ちています。その時代の日本で生まれたソニー(1946年)もホンダ(1948年)も、すでに創業70年を超えています。ひとつの企業ではなく、日本経済全体の新陳代謝が必要な時期にきているのです。
平成の次の時代には、次の予測不能な衝撃をきっかけに、老いて陳腐化した企業が淘汰され、新卒一括の採用や終身雇用などの制度が崩壊して人材の流動性が高まり、混沌とした政治や経済のなかで様々な規制や障壁が撤廃され、独創的な製品や産業を生み出すためのエネルギーが復活する。日本経済の新陳代謝は、そんな筋書きによってしか進まないのかもしれません。
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