Wedge REPORT

2019年3月9日

»著者プロフィール
閉じる

稲泉 連 (いないずみ・れん)

ノンフィクション作家

早稲田大学第二文学部卒。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど—竹内浩三の詩と死—』(中央公論新社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。近著に『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房)がある。

 彼らは解析結果をもとに3Dプリンターで粉体(ふんたい)模型を作成し、岡田たちのいるいわき市の現地事務所に送り届けた。その後、現地事務所では色分けした模型をペンチで実際に切りながら、担当者が取り除く瓦礫の順序をやはり一つずつ確かめていったそうだ。

原子炉建屋の瓦礫を3Dスキャンで解析し、作成した粉体模型(KAJIMA CORPORATION)

 東京でシミュレーションを繰り返した後、鉄骨やコンクリート瓦礫を一つずつ抜き取る順序を決めた上で、建屋上部の大型瓦礫撤去が実際に開始されたのは12年8月のことだ。

 「まるで積み木崩しをしているかのようでした」

 当時の苦労が思い起こされるのか、岡田はそう言って思わず苦笑いを浮かべる。

 当初、彼らは瓦礫撤去の期間を算定しようにも、あらゆる作業が全くの未経験のもので、いったいどれくらいの時間がかかるのかが分からなかった。

 「現場では遠隔操作の重機の先に付けるカッターやペンチやバケット、フォークなどのアタッチメントを駆使していくのですが、初期の頃はどの瓦礫を取るかを話し合いながら、『今日は3つ取りました』『明日はこれを取りましょう』という感じでしたから」

 現場では毎朝、水に糊(のり)の成分を溶かした飛散防止剤を瓦礫にまき、ダストが舞わないように工夫した。雲仙普賢岳の噴火復旧工事に始まる無人化施工技術を応用し、初期の作業は数十メートル離れた場所の遮蔽トラックから重機を操作していたが、3号機カバーでは技術開発を進めて500メートル離れた場所からの操作も可能にしている。

 だが、それだけ慎重に作業を行う中でも、12年9月には約470キロの鉄骨が使用済み燃料プールに滑落する事故も起こった。幸いにも燃料の損傷はなかったものの、作業が3カ月間にわたって中断されたのは、現場を監督する岡田にとって苦い経験だ。

 「あのときは重機を操作していた熟練のオペレーターさんも落ち込んでいましたね。そのなかでチームのモチベーションを保っていくのが大変でした」

 プールに落ちた鉄骨を引き上げる際は、構内に実物大の模型を作り、クレーンに付けたカメラも水中のように映りにくくして練習を繰り返したという。落下時に担当だったオペレーターが「俺にやらせてほしい」と自ら手を挙げ、3カ月後に引き上げを成功させたときは胸が熱くなった、と岡田は振り返る。

 「瓦礫撤去に目途がついたのは、そうして不安定な鉄骨などがなくなったときです。その後の屋上の除染も全くの未知の世界でしたが、一つの節目ではありました」

関連記事

新着記事

»もっと見る