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2019年3月9日

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稲泉 連 (いないずみ・れん)

ノンフィクション作家

早稲田大学第二文学部卒。2005年『ぼくもいくさに征くのだけれど—竹内浩三の詩と死—』(中央公論新社)で大宅壮一ノンフィクション賞を受賞。近著に『「本をつくる」という仕事』(筑摩書房)がある。

 瓦礫撤去後の3号機の屋上は、場所によって800ミリSv(シーベルト)/hという凄まじい高線量の箇所もあった。米国のペンテック社(スリーマイル島事故でも活躍した企業)と東電が共同開発した「無人除染装置」も活用し、後に人が作業するエリアの線量を1ミリSv/h以下にしていくことを目標に除染作業が続いた。それでも場所によっては運転席を遮蔽したパワーショベルを使い、ストップウォッチを片手に「2回ショベルを搔いたら帰ってきてくれ」とオペレーターに指示しなければならない局面もあった。

 3号機の「カバーリング工事」は結果的に、そのような瓦礫撤去と除染作業に約5年間を要することになったのである。

作業員の被曝低減と
高い耐震性の両立

 さて、現場事務所で岡田が瓦礫撤去と除染作業に取り組んでいたとき、東京の鹿島建設の本社では原子炉建屋を覆うカバーの設計が同時に進められていた。

 同社の原子力設計室に勤める小川喜平(48歳)が設計の担当責任者となったのは、事故からわずか1カ月後だ。1号機のカバーリング工事は清水建設、4号機については竹中工務店を中心としたJVが結成されており、鹿島建設に依頼されたのは最も損傷の激しい3号機建屋を何らかの形ですっぽりと覆う構造物の実現だった。

 「火の粉を振り払うような状況」と呼ばれた事故の収束作業の初動のなかで、当時は「とにかく早く覆ってほしい」というのが政府や東電からの要請だった、と彼は話す。

 「ところが、6月末には〝電力さん〟から『方針変更』の連絡がきたんです。問題は海水による冷却が行われた使用済み燃料のプールで、将来的に部材が錆(さ)びれば何が起こるかが分からない。なるべく早く使用済み燃料を取り出したいので協力してほしい、と」

 岡田が建屋の瓦礫の山を前にして途方に暮れていたのと同様、彼もまた、その要請内容を聞いたときは、どのように仕事を始めればいいのかが分からなかったと話す。

 「設計自体はどんなものでもできるわけですが、何しろ現場の放射線量が高過ぎる。どうすれば施工が可能なのかが全くの手探りの状態でした」

 例えば、建屋を覆うためにはその外周を「構台」で取り囲み、上部に何らかの形で屋根を付ければよい。

 しかし、それを柱や梁(はり)をボルトでつなぎ合わせる従来の方法で作ろうとすれば、作業員の被曝が避けられないのは明らかだった。「高線量下で構台のボルトを締める作業は一人につき1日に20本くらいが限界」であり、作業員の被曝量の制限(1年に50ミリSv、5年の累積で100ミリSv)を考慮すると、鉛入りの15キロの防護スーツを着用し、5分の作業を入れ代わりながら行う、といった手法が想定された。それは全く現実的ではなかった。

作業員の被曝を防ぎながらカバーを設置していった
(出典:東京電力ホールディングス)

 そこで小川の率いる設計チームが考えたのが、「被曝低減設計」という全く新しいコンセプトだ。

 例えば、「省人継手」と呼ばれる仕組みがある。これは構台のブロックを積み上げる際、その上下を傘のピンのようにつなぎ留めるものだ。

 「クレーンでブロック同士を重ね、ピンがしっかりと接続されているかを目視でチェックするだけなら、現場にいる時間は5分で済む。いかに作業員の被曝を防ぎながら構造物を作るかというテーマは、われわれの会社にとっても社会にとっても、大きな意義のあるものだったと考えています」

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