伝わってくる当局の「悲壮感」
こうしたパワー、文化産業振興策といった点以外にも注目されるのが、最初に掲げられた「社会主義核心価値」の建設についてである。「社会主義核心価値」という言葉自体は、06年の16期6中全会で述べられたものであり、新味があるわけではないが、これだけ繰り返されると、社会主義の核心価値だけは守らなければ、という当局の悲壮感が伝わってくるようでもある。
なお、「社会主義核心価値」と並んで「決定」の中で、随所に現れた言葉が「道徳」である。道徳に関して言及が多いのは、国民(そして党員?)のモラルの荒廃に対する危機感を反映していよう。ちょうど本会期と前後して、広東省仏山市で2歳の女の子のひき逃げ事件が発生し、中国内外に衝撃を与えたことは記憶に新しい(詳細は本コラム10月29日付、11月4日付を参照されたい)。
既存の政策の焼き直し 新味のない「決定」
さて、以上から、今般の文化政策にかかわる「決定」にも、やはりいくつもの目標が盛り込まれていることが明らかとなった。この理由は、政治学からの一解釈は、文化に関する政策パッケージに関する予算と権限の分捕り合戦の結果である、ということになる。特に、今回の「決定」で認められれば、2020年まで向こう10年にわたり、継続的に予算なり権限なりを確保できるため、各部門の要求を満たすためにも目標が多く並んだと考えられる。総花的なバラマキ予算が組まれるのはいずこも同じである。
また、キーポイントを個別に確認した結果、新機軸が打ち出されたのではなく、すでに実施されている政策をまとめなおしたものであることも明らかとなった。新味がないという点は、閉幕後に出てきた実際の政策についてもあてはまる。まず、通信社やテレビ局の統廃合が、ついで、衛星テレビの娯楽番組を一定数に制限する管理強化方針が打ち出された。果たして、これら管理強化が、「文化体制改革の深化」の実践なのであろうか。
なぜ中国版ツイッターを管理強化しないのか
もし強化するのであれば、インターネットや中国版ツイッターの「微博」こそ対象にしたいはずである。それをせずに、機構改革や報道内容への干渉など従来の方法を越えていないのは、当局の発想の硬直を反映しているのか、それとも能力の限界を示しているのか。いずれにせよ、ガバナンスの限界が表れているのではないだろうか。ただ、文書のなかで奮闘目標の大項目には挙がっていなかったが、「ネット文化の健全な向上」は小項目には挙がっており、近日中に新政策が打ち出される可能性はある。
そして、これもありがちなことであるが、複数の目標が相矛盾するようである。中国では、中国共産党の目的に資する範囲からはみ出すと判断されると、国内での公表は禁じられる。作品の優劣を判断するのは国民ではなく、当局なのである。しかし、国や時代を問わず、当局の検閲との緊張関係から傑作が生まれてきたのではないだろうか。また、文化を管理しようというスタンスに、海外はマイナスイメージを抱く、つまりソフト・パワーが低下することを当局が理解していないとも思えない。ただ、いずれを優先させるかと言えば、国外でのイメージより、国内の安定を目指す管理強化であることに間違いなかろう。
少し引いてみると、中央委員会総会としては、今回が実質的に、2期10年におよぶ胡錦濤政権最後のものである(党大会前夜にも開催されるが、方針・政策を打ち出す場ではない)。その大事な場で、ほかでもなく文化を取り上げたのはなぜか、という疑問も生じる。
もっとも単純な説明は、6中全会は文化に関する問題を取り上げる傾向があり、今回もそのパターンを踏襲した、というものであろう。上でもふれたように16期6中全会でも、またさらに遡ると、15年前の14期6中全会でも文化体制改革が取り上げられている(15期6中全会では党の活動方法が議題であったが、共通点はある)。