2024年4月26日(金)

ちょっと寄り道うまいもの

2011年11月23日

 「いやですねえ、女に年を聞くなんて。まあ、20歳の子が4人いるものだと思っていただければ」

 粋に三味線を鳴らしながら、お姐さんはそう言い、艶っぽく笑った。

 古い町並み「三丁町」を久しぶりに歩いていたら、そんな宴席を思い出した。さて、あのお姐さんはお元気か。まだ、30歳が3人にはなっていないと思うけれど。

 江戸時代、北前船の寄港地であったところは、どこかに華やかな雰囲気を残しているように思われる。小浜(おばま)も例外ではない。人口4万にも満たない小都市ながら、色町というのか、雰囲気のある料亭など今も残っている。それが好ましい。楽しい。

 北前船の話以前に、この地は「御食国(みけつくに)」であった。「御食(みおし)」は飲食(物)の丁寧語である。天皇など高貴な人々が飲食するものを指す。そして、「御食国」は、天皇の食料を貢進する国の意味である。若狭、小浜は古来、海産物を都に献上する場所だった。

 東京からは米原で新幹線を特急に乗り換え、敦賀からさらに各停の電車。だから、遠くに来たと旅情を感じるが、京都からなら、琵琶湖沿いに北上し、一山越えただけだ。

 それゆえ、京料理になくてはならぬグジ、つまり、塩をした甘鯛や一夜干しの鰈(かれい)はこの地から送られた。そして、鯖(さば)街道。塩鯖を京都へ運んだ起点も、この地である。

焼き鯖店、元祖朽木屋の益田隆さん。足が早い鯖は、素早く串に刺して、焼き上げる

 久しぶりにまた訪ねたいと思わせたのが、鯖。古い町並みを歩いて、ヘシコなど肴に一献と妄想していたら、ついつい……。

 「鯖街道起点」のプレートがある「いづみ町商店街」を歩いていると、食べやすいように美しく切れ目をいれた鯖を大量に焼く姿が目に入る。

 「もともとは海辺で焼いていたもので、浜焼きという」と、「元祖朽木屋(くつきや)」主人の益田隆さん。気っぷの良い話しぶりに、NHKの朝ドラ、『ちりとてちん』の登場人物を思い浮かべたが、まさにモデルらしい。まったく、物語と重なる人と味わい。

 もう一軒、この焼き鯖を食べさせるところが「御食国若狭おばま食文化館」併設のお食事処、「濱の四季」。ここで浜焼き鯖やらその鯖をたっぷりと具にしたお汁などを楽しみつつ、支配人の新谷計三さんに話を聞いた。

 お二人の話から、浜焼きが単なる焼き物ではなく、塩鯖やヘシコと同様、保存食であったことを理解する。日持ちしない鯖を焼いて、山間部の集落などまで運び込んだのだ。貴重な魚を分けて味わう工夫がお汁だった。

 まさに滋味。染みこむような美味しさ。小さいながら良く出来たこの地の食文化が分かる、食文化館の展示を見た後ではなおさら(ここの温泉がまた良い。海見の湯が格別)。


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