2024年4月20日(土)

古希バックパッカー海外放浪記

2019年3月24日

マルクスは大英博物館の図書室で『資本論』を書いた

 マルクスは1818年にラインラントのモーゼル河畔のトーリアで生まれた。マルクスはドイツ諸国、フランス、ベルギーから政治的危険分子として追放命令を受けて1849年にロンドンに亡命。その後、彼は朝から晩まで大英博物館の図書室に籠もり『資本論』(Das Capitol)を執筆したとのこと。

大英博物館の図書室。大半の蔵書は大英図書館に移譲。かつてマルクスが資本 論を執筆した図書室は現在一般公開されている。

 余談であるが、最近村上春樹の『ノルウェイの森』を読み返していたら、1970年代前半の大学紛争盛んなりし頃に主人公の女友達が「フォークソングのサークルで上級生から新入生に対して宿題として資本論の何章かを読んで感想を述べるように言われたけど、何が書いてあるのか理解できなかったと答えたら、みんなが呆れ返っていたわ」というような会話があった。当時は資本論を議論できないと問題意識が欠如していると批判されるような時代であった。

大英帝国の真の偉大さとは

 1867年の出版から1991年のソ連邦崩壊まで世界の政治思想に甚大な影響を与えた資本論は大英帝国最盛期の大英博物館で執筆されたのは偶然なのだろうか。大英帝国は欧州大陸諸国から追放された危険思想の政治犯に静謐な学習と思索との場を提供したのだ。ここに大英帝国の確固たる優位性と余裕を感じる。

 同様に明治の日本は当時の清国から逃れてきた革命家孫文やインド独立を目指したチャンドラ・ボースなどアジアの亡命革命家を受容庇護し、篤志家達は彼らを支援している。当時の大日本帝国は自他ともに認めるアジアの盟主であり、亡命者を保護しても他国から文句を言われることはなかったのである。

 ひるがえって現代日本はどうであろうか。昨年11月ダライラマ14世が来日して講演会を開いたが、日本政府はおろかマスコミさえ黙殺した。台湾李登輝元総統の来日でも同様に他国政府からのクレームを忖度して日本での活動を極度に制限している。

カール・マルクスの末娘エレノア

 資本論を英訳して出版したのが末娘のエレノア・マルクスであった。マルクス一家はロンドン亡命後、下町の最下層のアパートに住んだ。定収がなく偶に原稿料が入るという家計のため一家は困窮。妻イェニーとの間に7人の子供が生まれたが、赤貧と不衛生な生活環境のため3人しか成人できなかったという。

 こうした家庭環境でエレノアは1855年に生まれた。


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