2024年12月2日(月)

オトナの教養 週末の一冊

2019年4月26日

「どこまでも純粋な好奇心」を持ち続けた

 そして、「その観察力を生かし、生涯をかけて知的好奇心の探究に没頭した人間の産物」が、『モナリザ』である。『モナリザ』一作で、レオナルドが「天才であった証としては十分だ」とアイザックソンは語る。

 <曲面に当たる光線、人間の顔の解剖、一定の面積・体積を持つ幾何学図形の変形、激しい水の流れ、地球と人体のアナロジーなど、ノート数千ページ分の探究を通じて、レオナルドは動きや感情の細やかな表現を学んでいった。>

 本書を読めば、レオナルドが生涯『モナリザ』を手許に置き、筆を入れ続けた理由が腑に落ちる。彼は、「人類の、自然の、宇宙の秘密をいつも知りたかった」。そして、自分のために『モナリザ』を描いていたのだと。

 <『モナリザ』という傑作を描くかたわら、多数の解剖に基づいて比類なき解剖図を制作し、川の流れを変える方法を考案し、地球から月への光の反射を説明し、まだ動いている豚の心臓を切開して心室の仕組みを解明し、楽器をデザインし、ショーを演出し、化石を使って聖書の大洪水を否定し、その大洪水を描いてみせた者はいない。レオナルドは天才だったが、それだけではなかった。万物を理解し、そこにおける人間の意義を確かめようとした、普遍的知性の体現者である。>

 序章の「絵も描けます」、そして結びの「キツツキの舌を描写せよ」は、レオナルドの生きた15世紀と現代とを結びつける、著者の思いのこもった章である。私は、「結び」を読んで、不覚にも涙した。

 現代を生きる私たち一人ひとりがレオナルドの生き方から何を学びとれるかを、著者は本書全体を通じて問いかける。レオナルドは、「社会のはみ出し者であることを、まるで意に介さな」かった。「どこまでも純粋な好奇心」を持ち続けた。

 もう一度、『モナリザ』の前に立ちたいと、本書を読んで切実に思った。


  
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