もう誰も失ってはいけない
一方で、そういった性的マイノリティの苦しみを、他人ごとではなく「自分ごと」として考えようという動きも、台湾で活発化してきた。
2018年の秋には、台北市内のある小学校で『穿裙子的男孩』(スカートをはいた少年)というイギリスの児童書の翻訳版(原題:The Boy in the Dress)が、保護者の「学校図書として相応しくない」とのクレームにより図書館より排除された。それに対し、同校の校長はスカートを穿いて朝の校門で生徒たちを迎え、「違いを尊ぶ」ことの大事さを伝えたニュース(※写真あり)は、大きな話題となった。
新北市板橋の高校で起こった「スカート隊」の活動も、大きな注目を集めた。同性婚合法化の法案について関心をうながし、ジェンダーの固定観念に抗うため、学校の創立記念週間に合わせて男子学生たちや男性の先生がスカートを穿いたのだ。これに合わせて作られた動画で、学生たちは「誰もが自分らしくいられる」社会について考え、性的気質に原因するイジメのために「もう誰も失ってはいけない」というメッセージを発している。
日本よ、あとにつづけ
日本では、このような個人の動きが大きな社会運動や連帯につらなっていく現象は、あまり見られないように思う。自己責任という言葉がはびこる近年の日本で、マイノリティの人権問題について物申せば「活動家」「アクティビスト」など、何かしら異質なものとして排除しようとする言説も多く目にし、大勢の人たちと異なる声をあげるハードルはどんどん高くなっている。
それに対して台湾では、ひとりでまず何が出来るのかという自分サイズで、個人それぞれが考えて行動しているように見える。他の人にどう見えるかは問題視しない。時として近視眼的で客観性がないようにも思えるが、「とりあえず、このままではだめだ」という確かな身体感覚が伝わってきて、その切迫感への共感が連帯につながっているようだ。
山の湧き水が集まった細い流れが、やがて大きな河となる。
1987年の戒厳令解除後に起こった台湾の性的マイノリティ運動が、小さくとも切実な行動を積み重ねたすえに、大河となったのが今回の同性婚法制化だろう。この台湾が見せた受容のあり方は、台湾のみならず、日本やその他アジアの国々でひとり苦しみを抱え込んでいる、とくに思春期にある性的マイノリティを大きく勇気づけるに違いない。
やまない雨はない。朝から土砂降りだった台北の空も、法案が続々と通過しはじめた午後には太陽が顔をだし、祝福するような光が街に降り注いだ。ずっとこの日を待っていたみんな、本当におめでとう。一日もはやく、日本が台湾の後につづくよう、心より願っている。
京都市立芸術大学美術学部卒。2006年より台湾在住。日本の各媒体に台湾事情を寄稿している。著書に『在台灣尋找Y字路/台湾、Y字路さがし』(2017年、玉山社)、『山口,西京都的古城之美』(2018年、幸福文化)、『台湾と山口をつなぐ旅』(2018年、西日本出版社)がある。 個人ブログ:『台北歳時記~taipei story』
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