面接の空気は凍りついた
私が勤務するに違いない外務省の援助部門は最上階の隅に押しやられていた。面接官は20代~40代とおぼしき男女4人。みな顔色がさえない。人数も予算も足りず残業続きなのだろう。気の毒なことだ。非常勤の私が残業することはありえない。
私は促されるままに、応募理由を述べ、カリブ海や中米への援助事業への抱負や、それらの地域の現状についてとうとうと演説をぶった。「どんなもんだい」という気持ちだったが、面接官側に何の反応もない。暖簾に腕押し。まったく盛り上がらない。しらける。空気はどんよりとしてそのくせ冷ややかだ。私が悪いのか、彼らが悪いのか。面接対策を怠ってしまったようだ。
彼らから2、3の質問を受けたが、若者たちが心配していたのは、おじさんが彼らの下での勤務に耐えられるかどうか、ということだった。日本の場合は年功序列。儒教の見えざる影響があり、若者が年上に命じるのも、年配の者が若者に命じられるのも抵抗がある。その文化が年配者の転職を妨げてもいる。
だが、海外の場合はさほど年齢は重視されない。私は、能力が自分よりも上の人間ならば年齢にかかわらずに指示を仰ぐのに何ら抵抗はない。
最後まで面接官からの質問は「若いわれわれの指示のとおりやれますか」というもので、私はもちろん「オーケー、オーケー、大丈夫」と軽く答えたが……。
うーん、かんばしくない。国内外で逆に面接官の立場になったことも多々あるが、面接に残る候補者たちの能力水順はさほど変わらない。結局は企業文化、つまり社風にあうかどうか、すなわち最終的な選択基準は、
―この人間といっしょに働く気がするか?―
20分ほどの白けた面接が終了すると、4人の中でもっとも年長で官僚臭さのない人間がエレベーターまで動向してくれた。そのとき、私にそっと耳打ちした。
「これだけの経験があるならここで働くのはもったいないですよ。報酬も低いし」
ていのいい断り言葉か、あるいは本音かもしれなかった。帰宅するために霞が関で乗った地下鉄の喧騒の中で、ふっと石川啄木の短歌を思い出した。
友がみな われよりえらく 見ゆる日よ 花を買ひ来て 妻としたしむ
といってなにも肩書が欲しいのではない。むしろそれを嫌って生きてきたところがある。
こころよく 我にはたらく仕事あれ それを仕遂げて死なむと思ふ
こうして私の外務省への挑戦はあえなく終了し、またも景気のよい音楽は心の中で鳴り響かなかったのである。
(続く)
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