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2019年7月12日

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風樹茂 (かざき・しげる)

作家、国際コンサルタント

作家、国際コンサルタント(kazakishigeru@gmail.com)。1956年、北海道生まれ。東京外国語大学スペイン語学科卒業。メキシコ留学後、中南米の専門商社を経て、南米アマゾンの奥地でODAプロジェクトの鉄道建設にかかわる。その後は、シンクタンク、研究所勤務などで、首相向けの政策提言、ODA援助、海外投資、NGOプロジェクトに従事。イスラム開発銀行のコンサルタントも経験し、30数カ国を踏査。石油関連事業でカタール、ベネズエラに駐在。

 年金に関する記事を目にする機会が多いが、新聞、雑誌、ネット記事のいずれも暗い内容のものが多い。夢のある記事はない。そんなときに思い出すのは、上野公園で出会った年金をもらうホームレスである。

(Irina Griskova/gettyimages)

上野公園の出会い

 バブル崩壊後、今と同様に仕事のない私は取材もかねて、上野公園や代々木公園で野宿することがたびたびあった。若い人は知らないだろうが、当時、上野公園には600人を越えるホームレスが住み、ブルーテントがひしめいていた。

 私は、東大大学院卒のホームレス、路上の哲学者、イラストレーター、元コンビニ経営者、大手化学企業の元エリート社員、自称修行僧など、多くのホームレスと親交を結んだが、その中でも悠々自適でバラ色のホームレス生活を送っていたのが、「年金」(あだ名)という北海道出身の元造林業者である。

 私が公園で眠るときは、ダンボールの切れはしで風をよけるだけだったのに、「年金」は羨むべき新築の仮小屋を持っていた。それは、高さ1.5メートル、幅1.5メートル、長さ3メートルほどの木造一戸建。表面に青いビニールシートを被せている。最初に彼の家屋の特異性に気付いたのは、当時一緒にホームレス取材をしていた3歳の息子のほうだった。

 「これ電車だよ。車輪がある」

 底に目を這わせると、家の土台に4つの車輪がある。移動可能なホームレス住居!? ホームレスは皇室の方々が上野公園を訪れる度に目に触れないように家財道具を持って公園外に出る必要があった(山狩りと呼ばれる)。世帯主は元大工かと想像したが、そうではなかった。

 その小屋の後で、ステテコ姿でバケツに水を入れて下着を洗っていたのが、その後「年金」と私があだ名をつけた家主だった。

 「ご自分で作ったんですか」

 「いや、違う。大工に作ってもらったんだよ。手間賃は5万円かな。材料費は3万円かかったよ。土台の台車が一番高かったな」

 自慢の住居なのかもしれない。「年金」は客商売に慣れているのか、好奇心に駆られた私の目の色に気付いたのか、オモテナシの精神をいかんなく発揮し、愛想良く、

 「部屋の中も見るかい」

 おしげもなくベニヤ板の両開きの門をあけてくれる。息子と一緒に中を覗いた。

 きちんと板でしきりがつくられ、寝る場所は一段高くなっている。その上の空間にひもを吊り、洗濯物が干されている。小屋の作りは、北海道で冬に子供たちが雪でつくる、雪合戦用の滞在可能な基地に似ている。まことに合理的なのである。

 私はさりげなく聞いた。

「年金をもらっているの?」

 ホームレス界の頂上に立つ、裕福な彼の噂は上野公園に鳴り響いていた。

「ああ、そうだよ」

 今もってある意味羨ましい。私は築50年の家に住み、地震がくると危ういので、「はやく建て直せ」と家人に責められているが、月7万円の年金収入では実現不可能だ。それに公園ならば土地はロハだし、固定資産税もいらない。

 だからといって羨ましいだけで非難するわけではない。

 企業でまじめに働いてきた人間ほど、「公園に住むなどけしからん」とか、「生活保護をもらいやがって」などと怒るが、公園に永遠に住むわけではない。公園には避難所という機能があり、戦争、地震などの自然災害の時に利用される。だからその機能を果たしているに過ぎない。「年金」を含め、彼らはバブル崩壊後の経済難民だったのである。

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