2024年7月16日(火)

チャイナ・ウォッチャーの視点

2012年5月9日

 ただし、これで話は終わらない。薄熙来失脚事件は同時に、共産党指導部のもった危機感の深刻さをもあらわしている。それは文革の再来が危ぶまれるような、「唱紅打黒」をもたらした中国社会の情況に対するものにほかならない。端的にいうなら、不公平感の充満である。ひろがる一方の所得格差、そんな格差を是正どころか、助長するばかりの権力の腐敗・横暴。それを批判弾圧したからこそ、「唱紅打黒」は喝采を浴びたわけで、上述の温家宝発言でも、「政治改革」の必要性を訴えたことが最も注目された。その実現なくしては、「われわれはこれまで成し遂げたすべてを失いかねない」とまで言いつのったのである。

日本や欧米とは異なる
中国の「格差」

 このようにみてくると、つい既視感を覚えてしまうのは、歴史屋の習癖であろうか。左派の毛沢東路線か、右派の鄧小平路線か、という命題は、たんに現代中国ばかりの問題ではない。両路線はいずれも、多かれ少なかれ歴史的に中国がたどってきた道だからである。

 毛沢東路線といい、鄧小平路線といっても、一言で表現するのは難しいが、武断的にまとめてしまえば、両者を決定的に分かつものは、格差を是とするか否かにある。しかしこれでは、まだ説明が足らない。格差そのものは日本でも欧米でも、どこにでも存在するからである。ここでいう格差とは、あくまで中国社会のそれであって、他国と必ずしも同一視できない。

 すでに拙著『中国「反日」の源流』で論じたとおり、日本や欧米と較べた場合、中国社会の特徴は、権力と民間の距離が遠く、隔絶していたことにある。国家と国民が曲がりなりにも一つの共同体をなすのが、日本・欧米だとすれば、少なくとも史上の中国は、両者一体とならない二元的な社会構成だった。

 当時のことばでいえば、「国」と「民」、あるいは「官」と「民」、あるいは「士」と「庶」などの対句表現がある。前者はいずれも支配者・エリート、上流・搾取者、俗にいえば勝ち組の謂、後者は被支配者・非エリート、下層・被搾取者、負け組にほかならない。19世紀の中国人が欧米・日本をみて最も驚いたのは、「官民一体」「上下一心」の社会構造であり、その基盤のうえになりたつ国民国家のありようだった。

くりかえし問われた「格差の是非」

 格差が是か非か、という命題は、この中国社会の構造に即して、史上くりかえし問われてきた。14世紀に始まる明朝は、格差を非とした政権だが、中国の産業開発と大航海時代による経済発展でその政策は破綻、上は富み下は窮する格差拡大の一途をたどり、権力は腐敗して、17世紀ついに王朝が崩潰する。これに代わった清朝は、格差を是とする政策に転じつつ政治改革を断行し、官民の矛盾を緩和することで、体制をたてなおした。ところが、18世紀の未曾有の好景気で、ふたたび格差がひろがって政権は頽廃、そのため19世紀には内憂外患にみまわれて、中国革命が始動する。


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