ドイツ式ではなく、イギリス式
それというのもイギリスは「武力もあれば金力もあり、ゆったりとした中、抜け目のない、植民政策経験に富ん」でいるからだ。やはり日本は「抜け目のない、植民政策経験」に乏し過ぎた。いや、乏しいことを深く省みるべきだった。
なぜドイツ方式ではダメなのか。
ドイツ方式では、「元来恩を仇に持つ癖のある支那人に、悪感情を抱かしむるばかりでなく、意外に、列国の非難を蒙ることに陷らないとも限ら」ないからである。世界における日本の立場からすれば、「これから先は、どこ迄も落付いて、公明正大の方針を採らねばならぬ」。「武勇を示して、商工業家を輔佐する位は、別に差支もなかろう」。だが、「早合点の上、武勇を玩ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」。やはり「声を小に、実を大とするは、最も肝要である」のだ。
この時から日本敗戦まで、中国における日本の動きを振り返るに、やはり川田が求めた「声を小に、実を大とする」方式には程遠かったように思う。長い歴史と豊富な経験に基づく「ゆったりとした中、抜け目のない、植民政策経験に富ん」だイギリスを筆頭とする列強の思惑に翻弄され、やがて悪辣・巧妙なスターリンの掌の上で玩ばれてしまった。やはり日本は「声を小に、実を大とする」とは反対の姿勢に終始してしまったように思う。
日中関係の歴史を振り返って見るに、「早合点の上、武勇を玩ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」との警句は、決して軽いものではない。
それにしても川田が学ぶべきではないと主張した「干渉の下、無理に植民政策を施さんとせる独逸」が、日中戦争中も、そして現在も“友好裡”に対中関係を保持させているカラクリは、やはり突き止めたい。巷間伝えられているように、ドイツが一方的に騙されているというわけでもなかろうに。
なお引用は川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)に依る。
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