明治の反知性主義が見た中国

2020年2月23日

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樋泉克夫 (ひずみ・かつお)

愛知県立大学名誉教授

中央大学法学部、香港中文大学新亜研究所、中央大学大学院博士後期課程を経て外務省専門調査員として在タイ日本国大使館勤務。著書に『華僑コネクション』『京劇と中国人』『華僑烈々―大中華圏を動かす覇者たち―』(以上、新潮社刊)など。

[著書]

ドイツ式ではなく、イギリス式

 それというのもイギリスは「武力もあれば金力もあり、ゆったりとした中、抜け目のない、植民政策経験に富ん」でいるからだ。やはり日本は「抜け目のない、植民政策経験」に乏し過ぎた。いや、乏しいことを深く省みるべきだった。

 なぜドイツ方式ではダメなのか。

 ドイツ方式では、「元来恩を仇に持つ癖のある支那人に、悪感情を抱かしむるばかりでなく、意外に、列国の非難を蒙ることに陷らないとも限ら」ないからである。世界における日本の立場からすれば、「これから先は、どこ迄も落付いて、公明正大の方針を採らねばならぬ」。「武勇を示して、商工業家を輔佐する位は、別に差支もなかろう」。だが、「早合点の上、武勇を玩ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」。やはり「声を小に、実を大とするは、最も肝要である」のだ。

 この時から日本敗戦まで、中国における日本の動きを振り返るに、やはり川田が求めた「声を小に、実を大とする」方式には程遠かったように思う。長い歴史と豊富な経験に基づく「ゆったりとした中、抜け目のない、植民政策経験に富ん」だイギリスを筆頭とする列強の思惑に翻弄され、やがて悪辣・巧妙なスターリンの掌の上で玩ばれてしまった。やはり日本は「声を小に、実を大とする」とは反対の姿勢に終始してしまったように思う。

 日中関係の歴史を振り返って見るに、「早合点の上、武勇を玩ぶは、先ず先ず禁物とせねばならぬ」との警句は、決して軽いものではない。

 それにしても川田が学ぶべきではないと主張した「干渉の下、無理に植民政策を施さんとせる独逸」が、日中戦争中も、そして現在も“友好裡”に対中関係を保持させているカラクリは、やはり突き止めたい。巷間伝えられているように、ドイツが一方的に騙されているというわけでもなかろうに。

■川田鐵彌。東京帝大で学び文部省に入省。陸軍幼年学校教官や早稲田大学の前身である東京専門学校で講師を務める。日露戦争前年に当たる明治36(1903)年に現在の高千穂大学につながる高千穂小学校を設立している。享年86歳。

なお引用は川田鐵彌『支那風韻記』(大倉書房 大正元年)に依る。

  
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