2024年11月22日(金)

明治の反知性主義が見た中国

2020年3月1日

「東洋啓発を以て天職」は空回り

 いよいよ本来の教育問題である。

 「教育は、近年長夜の夢を破ったばかりで之れぞと、見るべき点は何もない」。「清国教育の宗旨、即ち本旨目的」は「忠君、尊孔、尚公、尚貴、尚武此の五つ」であるが、孔子に対する尊敬(「第一尊孔」)が先であり、「忠君」と「尊孔」とが逆転している。

 それというのも、「易姓革命の国であるから、人民が気にくはぬ奴だと思へば、何時にても腕力に訴へて、君主を易置するを得るので、君主專制国とは謂ひながら、君権は実際極めて軽いのである」。これに対してして「孔子は無冠の帝王で」あり、「恰も支那の孔子にあらずして、孔子の支那たるの感がある」からだ。

 実際に四川で教壇に立った経験を、中野は「授業中でもお搆ひなしに、矢鱈に唾を吐き、手鼻をカミ散らすので、神聖なる教室は、嘔吐の巷となる、驚くなかれ、支那では、如何なる大官と雖ども、紙やハンカチーフで鼻をカムものはない、皆な片鼻を圧さへて、フウーンとやるのである」と振り返る。教育もなにもあったものではない。

 では、「フウーンとや」って飛び出したブツは如何に処理されるのか。「偶々手につくときは、壁や柱になすりつけ、果ては着物になすつて仕舞ふ」。「作法といふものは八釜しくないので、人様の前で、放屁することなどは失礼とも、何とも、思うては居らぬ、先生の面前でも、平気でやつている。欠伸や脊延び、居眠等は常のことで、咎むるには足らぬ」。

 1970年代前半だから、中野が明治末年の四川の教室で呆れ果ててから60有余年が過ぎた頃の香港中文大学大学院のゼミである。先生1人に学生2人――1人が筆者で、1人が美形の才女――のゼミで、彼女が「片鼻を圧さへて、フウーンとや」ったのにはビックリした。だが、先生も彼女も何事もなかったようにゼミを続けたのには2度ビックリ。当時の香港ではテラテラと光り輝く電柱やら立木を時折見掛けることがあったが、おそらくアレが「壁や柱になすりつけ、果ては着物になすつて仕舞ふ」と中野が驚いたブツだったろう。

 こんな筆者の経験を重ね合わせると、このような振る舞いは漢人のDNAに組み込まれているのではなかろうかと、フト考えたくもなる。

 四川では学校当局も学生も授業時間の長いことを歓迎する傾向が強い。「之は知識に渇しているからでもあらう」。「根気のよいには日本学生などの迚も及びつかぬ所である」。だから「毎日七時間づゝ、授業されても、平気でゐる、その代り尻から抜けて仕舞うて多く覚えて居らぬ」。だから結局は「損である」。彼らの心は全く以てウワの空。

 中野によれば、加えて学生は「呑気、優長で、迫らず、焦らず、日本学生の活発燃ゆるが如きに、比すれば、お爺さんの様である」。彼らは「総じて、気力に乏しく、一見した所にて、其粘液質たるを知ることが出来る。これが大国を負うて立つ、将来の中華国民と思へば、聊か情けなき心地せざるを得ぬのである」。

 かくして中野は自らの教員経験――教育設備は不完全、学習態度のデタラメ――から、進歩というものに無関心で「昔の夢ばかり、見て居る国民は、大抵こんなものであらう」と切り捨てざるを得なかった。「東洋啓発を以て天職」としたはずが空回りするばかり。

 ここで考える。

 習近平政権が掲げる「中国の夢」は、はたして中野が喝破した「昔の夢」なのか。いま中国は新型コロナウイルス(通称「武漢肺炎」)との悪戦苦闘の最中に在る。この戦いに敗れた時、「中国の夢」は儚く消え去るだろう。であればこそ、「昔の夢ばかり、見て居る国民は、大抵こんなものであらう」とは、けだし名言だと言っておこう。

 1911年10月10日に起った武昌における武装蜂起をキッカケとする辛亥革命によって、満州族皇帝が支配する清朝からアジア初の立憲共和政体たる近代国家の中華民国に変貌した。数千年続いた封建王朝が崩壊するという激変を現地で見聞きしただろうが、一連の社会の動きについて中野は余り関心を示した様子は見られない。

 はたして中野が社会の激変に鈍感だったのか。関心がなかったのか。あるいは辛亥革命が内陸奥地の四川を揺り動かすまでには、まだ暫くの時間が必要だったのか。

 とはいえ日中両国を巡る情勢は大きな曲がり角に差し掛かっていた。我が国は明治時代を終えて大正時代へ。中国は清国を脱し中華民国へ……新しい時代は確実に複雑さを増す。日本の進路に中国問題が立ち塞がり、両国の関係は激動する国際社会の狭間で変転を余儀なくされることになる。

 新しい時代の大正人は疾風怒濤の中国を歩きながら、はたして何を感じたのだろうか。

■中野孤山(生没年不詳)については、元広島県立中学校教諭で四川省総督からの招聘教員と自らが綴る以外、目下のところは不明である。なお、引用は中野孤山『支那大陸横斷遊蜀雜俎』(松村文海堂 大正二年)に拠った。

  
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