今回は誤った情報によってトイレットペーパーが不足しましたが、同じようなことはいつどこで起きても不思議はない、と久留米大学商学部の塚崎公義教授は心配しています。
買った人が愚かだったわけではない
今回のトイレットペーパー不足は、「トイレットペーパーが足りなくなる」という誤った噂が広がり、それを信じた人が普段より多めにトイレットペーパーを買い、それによって実際にトイレットペーパーが不足し、それを見た人が「噂は本当だったのだ」と思って自分も多めに買った、ということだったようです。
普段より多めに買った人が悪いわけではありません。大量に買って高値で転売した人については後述するとして、自分用に普段1週間分を確保している人が少し多めに2週間分確保したとしても、責められることはないはずです。
メーカーは「在庫は大量にある」と言い、政府は「デマに惑わされないように」と言い、「賢い人」は「デマに踊るのは愚かだ」と言っていましたが、それでも多めに買った人は正しかったと思います。
2週間分のトイレットペーパーを買ったとしても、置き場所に困る人は稀でしょうから、買うことのデメリットはほとんどありません。
一方で買わないと、「もしも噂が本当だったらトイレットペーパーなしで暮らすことになり、大変困る」「1週間以内に店頭にトイレットペーパーが並ぶとしても、それまでの間は万が一噂が本当だったらと心配しながら過ごすことになり、ストレスが溜まる」というデメリットがあるわけです。
今回は、実際に1週間以上も在庫切れだった店舗が少なくなかったと思いますので、「買わなかった賢い人」が困ったのかもしれませんね(笑)。
そうなると、次に似たようなことが起きた時にも、今回と同様のことが起きるかもしれない、ということになります。もちろん、対象品目はトイレットペーパーではないかもしれませんが。
誰かが悪かったわけでも無い
最初に噂の源を作った人が悪意だったのか悪戯だったのか勘違いだったのかは知りませんが、仮に悪意ではなく勘違いだったとしましょう。問題は、その後は「誰も悪くなかったのに事態が悪化していった」ということなのです。
自衛のために少し多めに買った人は悪くありません。自衛の権利は誰にでもあるからです。
「マスコミが空になった棚の写真を広めたから人々が不安になったのだ」ということはあるでしょうが、マスコミは真実を伝える義務があるので、その事自体が問題だったとは言えません。
むしろ、世の中でトイレットペーパーが不足しているということを知らずに自宅のトイレットペーパーがなくなってから初めて買いに行くような「情報弱者」を救うという意味では、世の中の役に立っている面もありますし。
「転売屋が悪い」と考える人は多いでしょうが、転売屋が購入したトイレットペーパーは全体から見ればわずかな部分でしょう。彼らも「噂が消えて品不足が短期間で解消してしまうリスク」に怯えながら商売しているわけですから。
しかも、転売屋だって他人の役に立っている面もあるのです。転売屋がいなければ本当に困っている人がトイレットペーパーを入手できずに最悪の事態を迎えかねないのに、転売屋のおかげで「高い金さえ払えばトイレットペーパーを入手できる」わけですから。
国内問題なら「思いやりの心」に訴えるのが良さそう
トイレットペーパーの場合、転売屋が海外に売るには輸送コストがかかるので、国内問題だと考えて良いでしょう。そうだとすると、「多めに買うのは愚かなことだ」などという宣伝よりも、「転売禁止令」よりも、「困っている人がいるのだから、譲ってあげましょう」という運動が一番良いかもしれません。
経済は冷たい頭脳と暖かい心で動いています。冷たい頭脳で考えれば「少し多めに買う」ことが合理的なのでしょうが、暖かい心に訴えかければ「多めに買うと誰かが困るかもしれない」と考えて通常通りの購入量に戻してくれる人が増えるかもしれませんから。
もっとも、マスクのように輸送コストが低く、海外でも同様の問題が起きている場合には、暖かい心に訴えても無理でしょう。日本人が困っても自国民を助けたいと思う外国人や、暖かい心より金儲けを優先する外国人などが購入してマスクを海外に送ってしまうので、日本人が買えるマスクが減ってしまうという最悪の事態を招きかねないからです。