2024年12月22日(日)

From NY

2020年10月28日

 いよいよ大統領選を迎えようとしている現在、アメリカは保守派の共和党と、リベラルの民主党の真っ二つに分裂している。

 筆者がアメリカに移住したのは、1977年の春、カーター大統領政権が誕生して間もなくのことだった。あれから43年この国に住んでいるが、現在のアメリカほど分裂したアメリカを見たことがない。

 40年間住んでいるこのニューヨークは、国際色豊かで文化の懐の深い街である。でもここにいると、アメリカ合衆国全体の、保守的、閉鎖的で、自分たちと異質なものには徹底的に排他的な側面を見失いそうになってしまう。

 実は筆者が初めて暮らしたアメリカの地は、ノースカロライナ州だった。南部でもディープサウスと言われるほどの僻地ではないものの、現在でも共和党が多数派の土地である。

ノースカロライナ州シャーロットの歴史的建造物(/gettyimages)

 当時はまだ高校生で英語力も限られ、社会に対する理解力にも限界があった。それでもアメリカの保守派とされる社会を生の体験できたことは貴重な体験だったし、今振り返るとトンでもないこと、面白いこともたくさんあった。

「ロックは悪魔の音楽なのよ」

 筆者が10年生(日本の高校1年)として入学した先は、プロテスタント、サザンバプティスト派(南部バプティスト派)の高校だった。

 留学を許してくれた両親は、ミッション系の学校なら治安も良く、留学生活も安全だろうという思いを持っていたと思う。ところが実際に行ってみると、それがものすごく日本的な勘違いだったことに間もなく気が付いた。

 サザンバプティスト派は、トランプ再選の鍵を握ると言われている福音派の最大の一派で、信者は1500万人いると言われている。筆者が直に触れた彼らの信仰、思想は、日本人がイメージする「クリスチャン」とはかけ離れたものだった。そんなこともわからずに留学した筆者は、誤解を恐れずに言うなら、白人カルト集団にアジア人のティーネージャーの娘が一人でノコノコ乗り込んで行ったようなものだった。

ノースカロライナ州シャーロット(klenger/gettyimages) 写真を拡大

 最初にたどり着いたのはノースカロライナ州シャーロット郊外にある、大学付属の英語学校だった。東京のクリスチャン系の留学コンサルタントを通して、全国から集まった同年代の女の子が筆者もいれて5人(ちなみに男の子たちは、年頃の男女を数カ月一緒にしておくと風紀上問題ありという理由から、フロリダの英語学校に送られていた)夏の間ここで英語を学び、9月からそれぞれの高校に振り分けられる予定になっていた。

 英語学校の編入試験が終わった頃、筆者は留学コンサルタントの田中氏の車で、候補の高校のキャンパス見学に連れていってもらった。

 行った先は、サウスカロライナ州グリーンビルにあるボブ・ジョーンズ大学高等部。アメリカ人なら、名前を聞けばすぐにぴんとくる有名校である。だがそれは、良い意味ではない。

 「大学も付属している南部一の名門校だよ。ぼくが紹介できる学校の中では、ここがぴか一なんだ」と、田中氏は嬉しそうに強調した。校門前に大きな噴水があって、まるでリゾートのようだった。

 田中氏と旧知の仲だという校長に挨拶すると、彼は日本人とアメリカ人のハーフの女の子を連れてきた。ジェニーというその学生が、まだ英語もつたない筆者のために日本語でキャンパス案内をかって出てくれたのだ。ここなら楽しい高校生活が送れるかも。そう思っていた矢先、筆者にとってはカルチャーショックともいえる出来事が起きた。

 「ねえ、あなたはどんな音楽を聴くの? クイーンとか好き?」

 もともと筆者が高校留学を希望したのは、小学生の頃から聞き始めたロック音楽がきっかけだった。英語文化にめざめ、海外留学をして将来は通訳になりたいと憧れていた。

 でも筆者にそう聞かれたジェニーは、さっと蒼ざめた。目を大きく見開いて、顔をこわばらせている。返ってきたのは、こういう返事だった。

 「ロックは、ここでは禁止されているのよ。だってあれは、悪魔の音楽ですもの!!」

 悪魔の音楽…。今度は筆者の顔が思い切りこわばった。

 筆者は当時も現在も、クリスチャンではない。でも小学生の頃は友人たちと誘い合わせてプロテスタント系の教会の日曜学校に通い、中学はカソリック系の女子校に行った。聖書もたっぷり読んだし、お祈りも讃美歌も覚えた。カソリック系女子中学は、服装などの規則はものすごくうるさかったものの、さすがにロックが悪魔の音楽だなどと極端なことを言われたことは一度もない。

 これがサザンバプティストとの、初めての出会いだった。


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