日本を味わう!駅弁風土記

2012年8月30日

»著者プロフィール

 鉄道は、蒸気機関による陸上輸送を実現すべく敷かれた。蒸気機関車は石炭と水を推進力に変え、人や馬では不可能な強さと速さで旅客や物資を輸送することで、産業を牽引し、近代を導いた。日本でもかつては、蒸気機関車は国の石炭消費量の1割を線路で燃やし、その煙は街のスズメや乗客の鼻の穴を黒く染め、民家の洗濯物や乗客の衣服に煤(すす)を付けた。今となればとても迷惑で苦痛な話であるが、当時はそれが当たり前であった。

引退後、一転ブームが過熱した蒸気機関車

 国鉄は1960(昭和35)年から15年計画で、「無煙化」ないし「動力近代化」の名目で、鉄道の電化やディーゼル化を推進し始める。昭和40年代の後半になると、蒸気機関車の引退時期が見え、スズメも乗客も煙に泣かずに済むようになった。しかし皮肉なことに、この頃から世は空前のSLブームに沸く。男達は写真機や蓄音機を持ち、駅に詰めかけ、線路際に集まり、山に登り、蒸気機関車を追った。蒸気機関車を称える書籍が次々に出版され、テレビや雑誌でも頻繁に特集が組まれ、ブームの過熱が社会問題にさえなった。

 1975(昭和50)年12月14日、北海道の室蘭本線で最後の定期旅客列車としてのSL列車が走った。その2か月後の同線の追分駅構内で、最後の入換作業も行い、蒸気機関車は計画どおり過去のものとなった。しかしそれから4年弱の時を経て、国鉄線上にSLが復活する。1979(昭和54)年8月1日、山口線の小郡駅と津和野駅との間で「SLやまぐち号」の運行が開始された。

 その小郡駅、2003年10月からは新山口駅と名乗る、SLやまぐち号の始発駅で販売される駅弁が「SL弁当」である。30年以上の時を経ても、SL列車も、駅弁も、現役を続ける。週末の朝10時台、新山口駅の1番ホームでは、黒い機関車が茶色い客車を従え据え付けられると、行楽客がホームを埋め、車両にレンズが向けられ、売店ではこの駅弁が面白いように売れてゆく。

SLやまぐち号の写真と路線イメージをあしらった弁当のパッケージ

関連記事

新着記事

»もっと見る