インドでは、昨年11月以降、農民による抗議活動が広がり、1か月以上にわたり、数千人がニューデリー郊外で座り込みを行ったり、道路を封鎖するなどしている。きっかけは、9月に可決された農業改革に関する3つの法律である。
これらの法律は、州の管轄下にある「仲介人」を排除し、農産品の購入と販売制限を緩和し、1955年の「不可欠商品法」の在庫についての制約を取り除き、書面合意による契約農業を可能にする。モディ政権によれば、「代替的取引ルートを作り、農民と取引業者が選択の自由を持つ」ようにすることが目的であるという。従来インドでは農作物は、最低価格が保証された、州の運営による市場での販売が義務付けられていたが、新法の下では、農民は自由に自らの作物を販売できるようになる。市場の原理を取り入れた農業改革であると言える。
しかし、農民側は強く反対している。彼らによれば、政治的コネがある大企業に市場が乗っ取られ、インド農業の略奪的商業化への道が開かれる恐れがあるという。「仲介人」の排除については、こういう人との取引の方が、買取の際に「品質管理」の名目で農民の取り分を減らしかねない、顔の見えない企業よりも望ましいと考えているらしい。
もともと農民はモディ政権の支持基盤である。モディは2014年に政権を取った際、5年間で農民の所得を倍増すること、および、農産品の最低支持価格を定めることを約束していた。しかし、モディはこれらの約束を守れず、農民のモディ政権への信頼はなくなってきている。
モディ政権は農業改革の新法を撤回することを拒んでいる。モディ政権は寒さの影響もあり今後はデモが尻すぼみになるのではないかと期待しているようだが、今後の展開次第であり、まだ分からない。
ただ、モディ政権は政策を打ち出すに際して、利害関係者との丁寧な話し会いをせずに、強引に政策を押し付ける嫌いがある。やり方が権威主義的になっている。今回の農業改革の件でも、利害関係者である農民や、インドの憲法上農業に責任を持つ州政府と相談せずに農業関連法を拙速に採択したのは強引であった。
モディ政権の権威主義的体質は、宗教の面でも暗い影となりつつある。インドは世俗的で民主的な共和国と憲法上規定されているが、その理念がヒンドゥー至上主義のBJPを与党とするモディ政権により歪められてきている。具体的には、イスラム差別が出てきている。イスラム教徒が多数派であるカシミールの自治権の廃止、市民権付与に際してのイスラム教徒への差別などがみられる。この宗教面での差別は世俗的なインド、多宗教が共存するインドの理念を壊すものである。
今回の農民デモは、モディの支持基盤であった農民がモディの強引な政策実施に異議を唱えているもので、宗教は無関係であるが、モディの支持基盤からの抗議であり、政治的にはその取扱いはより厄介である。
なお、12月8日付の ワシントン・ポスト紙に、ナターシャ・ベール(アリゾナ州立大准教授)が「インドの抗議する農民はその民主主義を再建できるか」との論説を寄せ、インドがリベラルな民主主義からリベラルではない民主主義に後退していることに懸念を表明している。上記の農業改革への強引な対応やヒンドゥー至上主義の台頭などを見ていると、こういう懸念が出てくるのに十分な根拠があると考えられる。インドは「自由で開かれたインド・太平洋」を築いていくうえでの不可欠なパートナーである。インドが日米豪と価値観を同じくする世俗的民主主義国であることは重要である。そのことを念頭に置いて、注視していく必要がある。
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