第一に、福島の復興への貢献である。もちろん適切な賠償を進めることは重要な仕事だが、それだけでは足りないし、事務に携わっている現場のモチベーションも上がらない。避難を余儀なくされた地域をどうやって復興するのか、雇用は、インフラ整備は、生活基盤は、教育機会は・・・・一からの町づくりのために、社員が(原子力部隊もそれ以外の部隊も区別なく)一体となってアイデアと実労働を出すことができるかが問われている。
第二に、原発過酷事故を起こした事業者としての責任である。その時まで原発運営に携わっていた人たちが、いまさら自分たちの判断についての合理性を必死で弁護しても、何の意味もない。その人たちが、今後とも日本には原子力が必須のエネルギーだと考えるのであれば、自己弁護ではなく自己反省に時間と労力をかけて、教訓を体系化していくことが重要だ。その体系化された「知」を、自社の後輩たちはもちろん、世界中の事業者に対して、貴重な情報蓄積として伝達していくことが、十字架を負った人たちの使命であり、責任の取り方であるべきなのである。
第三に、創造的な経営ビジョンの立案と実行だ。事故収束や賠償・除染などの仕事があることは当然だ。しかし、今後志のある人が東電に残って、生まれ変わった東電を造りあげたいという意志を持ち続けるためには、前向きな経営ビジョンが必要だ。電力インフラにとどまらず、今後は総合エネルギー企業として、国際的な競争に身を投じるという堅固な決意を、社全体で共有することが重要だ。自由化議論を逆手にとって、ダイナミックな事業展開のロードマップを示すことを期待したい。
もちろん、こうした必要条件を満たしたからといって、すぐに東電に対する信頼が回復するとは限らない。信頼回復の十分条件は何か、あるいは十分条件自体が存在しないのか、そこはいまわからない。わかるはずもない。しかし、やぶれかぶれでいいから、前に歩を進めることが重要なのだ。回ることをやめれば、コマは停止してしまう。
実は私は、東電は最近変わりつつあると見ている。上記の必要条件について、第一の点は、11月7日に公表された東電の「再生への経営方針」
(http://www.tepco.co.jp/corporateinfo/company/philosophy/saisei/index-j.html)で、福島復興本社(仮称)構想が示され、石崎副社長がそのヘッドに任命された。石崎氏は福島第二原子力発電所の所長として赴任したときから同地に惚れこみ、単身赴任期間中ほとんど東京に戻ってこないのみならず、定年退職後は福島に拠点を移そうと震災前に既に家探しを始めていたという。本気度満点の人事である。