2022年8月9日(火)

#財政危機と闘います

2021年8月30日

»著者プロフィール
著者
閉じる

島澤 諭 (しまさわ・まなぶ)

関東学院大学経済学部教授

富山県生まれ。1994年東京大学経済学部卒業 同年4月経済企画庁入庁。調査局内国調査第一課、総合計画局計量班、調査局国際経済第一課等を経て2001年内閣府退官。02年秋田経済法科大学経済学部専任講師、04年10月秋田大学教育文化学部准教授。15年4月から中部圏社会経済研究所研究部長を経て、22年4月より現職。

 政府が打ち出の小槌を持っておらず、無から有を生み出せないという厳粛な真理を経済学的に翻訳し政府に応用したものが「政府の異時点間の予算制約式」というものだ。ここで言う政府は、一般政府でも、一般政府と中央銀行からなる「統合政府」でも、本質的な違いはない。

財政危機は将来世代の選択肢を狭める

 問題は、日本財政がこのままの状態を続ければ、いつか財政が危機的な状況に直面することは確実なのだが、誰にもこうした事態がいつ生じるのか、予見できないことにある。なぜなら、ある時点で破綻することが確実に分かっているのならば、それより以前に必ず取り付け騒ぎが発生し、破綻予定時点を待つまでもなく、その予定が示された時点で財政が破綻してしまうからである。

 つまり、財政破綻がある時点で起こることが確実に予見できるのであれば、結局、たった今財政が破綻してしまう。逆に言えば、財政が今現在破綻していないという事実をもって将来も財政が破綻しないのだと、「抜き打ちテストのパラドクス」の生徒たちのように誤解して何らの対応も取らないでいれば、将来痛い目を見るのは確実なのだ(財政破綻を回避するための政府の対応策としては、①増税や歳出削減を行うことで財政赤字体質から脱却する、②増税や歳出削減は行わず中央銀行から必要な財政資金を借り入れるが考えられる。こうした対応策や財政破綻の真の問題点については、「財政破綻の真の問題は国民生活の破綻」を参照)。

 では、財政が破綻していないのであれば、財政再建は一切必要ないのだろうか。実は、財政が破綻してもしなくても財政再建を実行しなければならないシンプルな理由がある。それは、私たちが作った借金は次世代の選択肢を狭めてしまうからなのだ。

世代会計で見える〝格差〟

 今般のコロナ禍への対処のように財政を拡大するのが正当な場面はあるものの、危機が去った後には拡大した財政が空けた穴を何らかの形で埋めておかないと、次の世代の負担が大きく増えてしまう。

 次の世代が、公的私的問わず、何らかの支出をしたいと思ったとき、われわれ前の世代によって負わされた借金を返済するのに自分たちのお金を回さなければならないから、自分たちが望む支出を実行できないという意味で次世代の選択肢が制限されてしまうのである。

 こうした次世代の選択肢が、政府や政治家、それを支持する民主主義によって、前の世代の選択肢よりどの程度狭められているのかを、金銭的に評価するのが世代会計という手法である。

 政府は、われわれ国民や企業から税金や社会保険料を徴収し、場合によっては「借金」することで、さまざまな行政サービスを提供している。行政サービスは、年金や医療など主に社会保障給付からなる移転支出と、外交や国防、警察、司法、産業振興といった非移転支出に分けられる。こうした政府の支出や収入は、私たち国民の側からの受払いとして見れば、政府支出は受益、政府収入は負担となる。

 世代会計は、このような政府と国民の間の金銭のやり取りを、国民の側から見て、一定のルールに従って年齢別に割り振り、国民一人あたりの受益・負担として記録したものだ。

 政府の「借金」は、社会資本や将来の税収、信用力を担保に行われるので、将来の税収や信用力を担保にする「借金」はいずれ誰かによって返済されるという保証(安心感)がなければ、政府は今現在「借金」できず、予算が組めなくなる。

 そこで、世代会計では政府の長期的な収支のアンバランスは、現時点では未出生の将来世代によってすべて解消されるものと機械的に仮定している。要するに、仮に遠い将来政府が清算されるとした場合、清算時点で、政府に債務が残らないように現時点では未出生の将来世代がその債務残高を必ず全額精算することで政府の予算制約式が保証されるものとしているのだ。そして、その必要総清算額である政府の債務残高を将来世代の人口で割った値が将来世代一人あたりの負担額として試算される。

関連記事

新着記事

»もっと見る