イスラム主義組織タリバンが政権の座に返り咲いたアフガニスタンについて、サウジアラビアは明確な政策を打ち出せないまま今日を迎えている。タリバンが政権を奪取した8月15日から下旬までの、サウジと、軍事関与を続けてきた米国の主な動きを振り返ろう。
8月15日、タリバンが首都カブールを制圧したことを受け、サウジ政府は大使館の全職員を避難・帰国させ、その後、サウジ外務省が次のような声明を発表した。
①情勢を注視しつつ安定化を期待する、②タリバンおよびアフガンの全勢力に対し、イスラム教の原則に従って安全・安定・人命・財産の保護を要請する、③アフガン国民への支援を表明する、と。他国と比べても際立って強いメッセージではない。
8月22日には、サウジ主催のイスラム協力機構(OIC)の緊急会合がサウジ西部のジッダで開催された。ただし、同会合は、将来のアフガン指導部に、和解を通した国内の安定化を求めることを加盟国間で確認するとの声明を出すにとどまっている。
その4日後の8月26日、首都カブールの国際空港を標的としたイスラム国(IS)系勢力によるテロ攻撃が発生し、米兵13人を含む100人超の死者と200人近くの負傷者が出たことから、サウジ外務省は、非難声明を発表することとなった。
米国は報復として翌27日、無人機でテロ攻撃の計画立案者らを殺傷し、29日にも、カブールで爆発物を積んだと見られる車両を無人機で空爆した。また同日にはサウジや日米欧など90カ国以上が共同声明を発出し、タリバンが外国人の安全な出国を確約したことを明らかにした。
サウジの現時点でのアフガンに対する基本姿勢は、国民の選択を尊重するというものだが、根底にあるのは、今しばらく動向を見極めたいとの思いである。そこには、過去のタリバンとの苦々しい関係がある。サウジは、かつてタリバンが樹立宣言を行った「アフガニスタン・イスラム首長国」(1996~2001年)を承認し援助を行った数少ない国の一つであった。
しかし、その後、当時のタリバン政権が、米同時多発テロを引き起こした国際テロ組織アルカイダの指導者であるサウジ人のウサマ・ビンラディンを保護したため、サウジは援助を止めると共に、外交関係も停止せざるを得なくなってしまった。
タリバン政権下のアフガンが再び「テロの温床」となることや、イスラム過激主義の波及が懸念されている。果たして、今回タリバンの動きを慎重に観察するサウジが、過去の歴史を克服して新たな関係を作りうるのか否か、改めて注目される。