2009年11月に0.6%という超デフレレベルとなった消費者物価指数は、12月にはいきなり1.9%に上がってしまい、インフレはそこから始まった、そして2010年1年を通してインフレ傾向はますます強まり、2011年に入ってから物価の上昇はよりいっそう激しくなった。2011年の夏にはインフレ率=消費者物価指数は一時に6.5%にまで上がってしまったが、その中でも特に食品の物価上昇率は激しく、一時は十数パーセントというハイパーインフレレベルのものとなっていた。
このような状況に対して大変な危機感を覚えたのは中国政府である。国内では都市部だけでも数億人単位の貧困層が存在している中で、食品を中心とした物価の大幅な上昇は政権にとって命取りとなりかねない深刻な問題だ。インフレ傾向がそのまま強まっていけば、ギリギリの線で生活している貧困層の人々は確実に食べていけなくなるので、政権をふっ飛ばすほどの社会的大動乱が発生してくる可能性が大である。
政権としては何としても物価の上昇を抑え付けなければならない。そのために、中国政府は2011年からそれまでの金融緩和路線から一転し、大変厳しい金融引き締め政策を実施したのである。つまり、金融引き締めで銀行から出る紙幣の量を大幅に減らすことによって市場の流動性を減らし、物価の安定化を図る、という政策である。
減速の一途を辿る中国経済
この政策の結果、2012年に入ってから中国のインフレ率はある程度沈静化した。前述のように、2012年10月のインフレ率は1.7%という低水準に落ち着いた。しかし、このような引き締め政策が厳しく実施された結果、中国経済にとって大変な副作用が生じてきた。
銀行からの融資が極限まで減らされた結果、中国経済の6割を支える民間の中小企業にお金が回ってこなくなり、その結果、製造業を中心に中小企業の倒産が相次ぎ、産業全体の衰退が始まった。その一方、金融引き締めの中では公共事業の拡大に回る資金も枯渇して、中国経済の成長を支えて来た最大の柱である公共事業投資が大幅に減少した。その結果、中小企業のみならずにして、今まで公共事業投資の拡大に依存して繁栄してきた鉄鋼やセメントなどの基幹産業も大変な不況に襲われた。
その当然の結果として、中国経済の成長は2010年から減速の一途を辿ってきているのである。2010年の第1四半期には11.9%に達した成長率は2011年の第1四半期には9.7%、2012年の第1四半期には8.1%、そして2012年の第3四半期にはさらに7.4%までに下がり、中国政府が死守してきた「生命線」の成長率8%を割ることとなったのである。