現在のアジア情勢と100年前の第一次大戦前のヨーロッパとの類比は、勿論ある限られた程度までではありますが、有意義です。
第一次大戦では、発端は1897年のドイツの建艦法です。予算の年次制度の例外として、長期間の建艦計画を認めたもので、これが英独建艦競争の出発点です。一方、現在の東アジアにあっては、1997年から、中国の防衛力はインフレ率を除いた二桁成長となったことが転機といえるでしょう。これは、1996年の台湾危機で、米海軍第七艦隊の空母急派に対して、なすすべもなく退却を余儀なくされたことが影響していると言われています。日本はといえば、1997年以来、今日に至るまで、防衛費は横這い、あるいは、漸減し、その間、東シナ海における日中の海空軍バランスは逆転してしまっています。
技術革新についても類比が成り立つでしょう。ドレッドノート型戦艦の進水は1905年であり、太平洋の米空母を脅かすDF21-D型ASBM実験配備は2005年です。
このドイツの脅威に対抗して結成されたのが、実質的には対独包囲網形成であった、1907年の英仏露の三国協商です。一方、2005年から2007年にかけては、日本では麻生外相の「自由と繁栄の弧」、日印、日豪協調、米国では、対インドの国交調整があり、中国という言葉は一言も言及されないまま、包囲網結成の動きが進みました。そして2010年以降、クリントン長官を中心とするアメリカのアジア回帰の動きがあり、2011年のオバマの訪豪以来、アメリカのアジアへの軸足移動政策が公然と表明されるようになったのです。
もう一つの類比は、経済依存度の深化です。1909年、後のノーベル経済学賞受賞者ノーマン・エンジェルは、Great Illusion(『大いなる幻想』)を出版して、ヨーロッパ先進諸国の間では経済の相互依存度がここまで高まり、戦争は破滅的な損害をもたらすので、もう戦争は無くなった、と論じました。しかし、戦争が始まった時の各国首脳の頭の中には経済依存度など欠片もなかったに相違ありません。政治安全保障を前にすれば、経済問題は無力になるということです。
ただし、類比はここまでです。ドレッドノートの出現以来、すでに英国を凌駕していたドイツの工業力、特に鉄鋼生産力の下においてドイツの海軍力が英国を凌駕することは、必然的であり、時間の問題でしたが、米中軍事力の較差は、まだまだ、当時の英独の差とは比べ物にならない大きさです。中国のASBMが西太平洋の空母機動部隊を脅かすまでには早くてまだ数年はかかるでしょうし、まして、中国の空母機動部隊が西太平洋で米軍に拮抗するには20年を要するでしょうから、余裕があります。また、中国の経済が何時まで今のまま成長を続けるか、また、昨年中に周知の事実となった共産党政権の腐敗が社会的な不安定をもたらさないかどうかは、現状では誰も予測できないところです。
20世紀初頭の英独関係と21世紀初頭の米中関係の類比については、さしあたって、以上のようなことが言えるのではないかと思われます。
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