2024年11月22日(金)

橋場日月の戦国武将のマネー術

2022年1月12日

 実隆の三条西家は和歌の元締めとして朝廷に認められており(家職)、古今伝授(秘伝の歌学)も受けた、和歌・連歌の第一人者。その道では周防の大内義興、駿河の今川氏親(義元の父)とも親交がある。

 尾張の織田信定と信秀の父子も旅の途中の連歌師・宗長を大接待するなど、各地の大名・豪族は中央の人脈に連なる連歌師を歓迎して自分の格をあげ、さまざまな情報を得ようとしていたし、何よりも連歌会には戦勝祈願の目的を持つものもある。その点でも戦国武将たちにとって連歌師は欠くことができない。

 その総元締めとも言える実隆。

 中央の貴族階級の顔役であり、大量の武器消費主である大内氏や今川氏に近しい三条西家への接近は、武器商・武野家としても販路拡大の大チャンス。実隆に弟子入りするのは、紹鷗にとって何よりも大事なミッションだった。

 そのためには多少の出費は当たり前で、武器商人の財力をもってすれば、痛くも痒くもない額なのである。

領地問題も仲介

 その後1年間で紹鷗は500疋(37万5000円)、500疋と実隆に献金したが、彼の実隆への肩入れはそれだけでは済まなかった。

 かねてから実隆の領地である三栖(京・伏見の近くの荘園)が堺の足利義維(室町幕府と対峙していた)の手の者に押領されていたのだが、実隆がそれを紹鷗に相談したのか、あるいは紹鷗が実隆の内情を探ったのか、冬になってから実隆の権利が守られるよういろいろ取り持ったのだ。

 武野家は義維のバックボーンである三好元長と密接な関係があったので、その関係要路にお金をばらまいたのだろう。

 その甲斐あってか、事はスムーズに進んだようで、「嬉しや嬉しや」と実隆は重ねていろいろと紹鷗に頼み込んでいる。

 年末、紹鷗から実隆に「支障なく解決できました!」との報告が入ると、実隆は感動して紹鷗と対面し、直後に三栖から年貢米2斗8升6合(約40キログラム)が届いた。順調順調。

 実隆は紹鷗に感謝の盃を与え、さらに年越しで俵米3つも先納分として到来。後日には残り分も完済の見込みだ、と実隆は小躍りするような筆致で日記に書き込んでいる。

 ところが、ところが。

 直後、三栖の年貢徴収権は松井なんとかという男が持つと裁定されたとの連絡が入り、実隆は一転して頭から湯気を出して怒る羽目になる。松井某は、山城の国人・松井一族の者か? それが足利義維に仕えて三栖を与えられたということなのだろう。

 「これは何としたものか」と実隆が紹鷗に連絡したところ、紹鷗からは「それは言語道断!きちんと話をつけますんでシクヨロ」と返事が。

頼り切られる存在になるも

 半年経って結局三栖は松井が代官を務める事と決着し実隆はまた「けしからぬ!」と血圧を上げる羽目になるのだが、それでもその後を見ると三栖からは年貢が送付されて来ているし、松井某の事をグチグチ言う様子も無いので、それなりに松井代官は三条西家の年貢分をきちんと確保してくれるようになっていたのだろう。

 高級公家の三条西家をもってしても何ともならなかった武士による荘園の押領問題が、一介の商人・武野紹鷗によって解決してしまう。これがマネーの力というものなのです。


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