2023年1月28日(土)

脱「ゼロリスク信仰」へのススメ

2022年5月16日

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唐木英明 (からき・ひであき)

東京大学名誉教授

1964年東京大学農学部獣医学科卒。農学博士、獣医師。東京大学農学部教授、日本学術会議副会長、倉敷芸術科学大学学長などを経て現職。著書に『不安の構造 リスクを管理する方法』(エネルギーフォーラム新書)。

リスク「ゼロ」ではなく、「最適化」を

 ここまで「危険」と「リスク」の2つの言葉を使ってきたが、実はこの二つは全く異なる概念である。そもそも日本語にリスクを意味する言葉はなかった。

 牛海綿状脳症(BSE)問題が起こった時、英国政府は病原体が蓄積する脳などを「特定リスク部位」と呼んだのだが、厚生労働省はこれを「特定危険部位」と訳した。ドイツの社会学者ベックが書いた『リスク社会』(1986年)は欧米でベストセラーになったのだが、その和訳の題名は「危険社会」だった。日本では危険とリスクを同じと考えていたのだ。

 しかしそれは間違いであり、「リスク=危険要因×出会う機会」なのだ。

 例えば野生のライオンは大きな危険要因だ。しかし日本でライオンに出会う機会はほとんどない。だからライオンのリスクはほぼゼロである。

 私たちは年に何回も風邪をひく。しかし風邪の症状は軽い。出会う機会が多くても、危険の度合いが小さいので風邪のリスクは小さい。

 すると、リスクを小さくする方法は2つあることになる。1つは危険要因そのものをなくすことであり、例えば原発や添加物を禁止すべきという考え方だ。もう1つは危険要因に出会う機会を減らすことであり、そのために安全対策を強化することだ。

 ゼロリスクをどれだけ望んでも、病気も事故も犯罪も戦争もなくなることはない。といって諦めたら改善も改革もなくなる。だからこそ私たちは永遠にゼロリスクを追い求める。

 しかしゼロリスクを最優先にすると、リスクがある自動車も飛行機もワクチンも、あらゆる新技術を諦めて、狩猟採集時代に戻ることになる。そうした時代であっても、ゼロリスクではない。

 ゼロリスクの矛盾を解決するのは、あるリスクを受け入れることが別のリスクを減らすこと、すなわちリスク最適化を理解することであり、それが人間のしたたかな生存戦略なのだが、それは次回に。

  
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