2024年6月15日(土)

新しい原点回帰

2022年5月22日

 「不動産業の存在意義とは人と人との出会いを創生すること」。祖父の代から続く不動産会社を引き継ぎ、長瀬さんはそう考えたという。

 創業は1960年。祖父は当初、運送会社を始めたが、ダム建設の水没予定地にあった合掌造の建物を移築する仕事をした際、古家でも引く手あまたの住宅不足を目にする。すぐさま、不動産業に転換、建売住宅の販売を始めた。高度経済成長が終わり住宅不足がひと息ついた頃、祖父は体調を崩してしまう。88年には東京の大学で教鞭をとっていた父が単身高山に戻って2代目社長となるが、祖父が亡くなると、会社を清算して学者に戻るという話になった。栄二郎さんが大学院で法律学を専攻していた時のことだ。

健栄住宅商事 年表

大学院を修了して
大好きな高山へ

 東京生まれの栄二郎さんは幼い時からおじいちゃんの住む高山が大好きだった。いずれ起業したいと考えていた栄二郎さんは会社を継ぐことを決意する。98年、24歳の時だ。

 2000年に3代目の社長となるが実質スタートアップの会社で、金融機関は運転資金も貸してくれない。時には消費者金融にもお世話になったこともある。地道に仲介業に取り組み、5年目くらいから地元の金融機関も融資をしてくれるようになった。

 まずは事業の安定基盤を作ろうと考え、不動産を購入して賃貸物件として運用する事業に乗り出す。「いずれ100億円くらい運用したい」と真顔で説明すると、金融機関の担当者に真顔で驚かれた。地元の高山では、仲介会社として、どんなに良い物件も自らは買わず、顧客に紹介するというポリシーを徹底した。そして、自分たちの取得する物件は全国各地に展開して、各地での土地勘も養った。京都・西陣でマンション1棟を購入したのを手始めに、北は岩手から南は福岡まで、マンションや商業ビルなどを取得してきた。現在は目標の3分の1くらいだという。

 「お寺も酒蔵の承継も、それで儲けるという話ではありません。人と人をつなぐ仕事は、この地域で、いつか回り回って地域の活力になり、自分たちの事業にも返ってくる、気長に考えています」

 賃貸物件投資で、恒常的に賃貸収入が入ってくることで、不動産業として本来やりたかった「出会いの創生」に少しずつ取り組むことができるようになったというわけだ。


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