2022年12月2日(金)

デジタル時代の経営・安全保障学

2022年4月29日

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川口貴久 (かわぐち・たかひさ)

東京海上ディーアールビジネスリスク本部主席研究員

1985年福岡県生まれ。専門は国際政治・安全保障、リスク管理。慶應義塾大学KGRI客員所員。2010年慶應義塾大学大学院政策・メディア研究科修了、08年横浜市立大学国際文化学部国際関係学科卒。最近の論考に「経済安全保障を考慮したガバナンス・リスクマネジメント態勢の構築」(東京海上ディーアール)、「2020年アメリカ大統領選挙と中国の影響力行使」(笹川平和財団)など。
 

 ウクライナ情勢の将来は不確実性があるものの、これまでのところ、ウクライナおよび米欧は認知空間における闘いを優位に進めている。

 その背景として、現時点では4つの要因が指摘できる。具体的には、①メディア・専門家らによるファクトチェック、②米国バイデン政権のインテリジェンスの積極的開示、③欧州地域におけるロシアの情報発信の制限、④ゼレンスキー政権の対抗ナラティブ(物語)である。前者2つは主に偽情報に焦点を当て、後者2つはより広範な情報戦を闘うツールとなった。

 第一に、多様な主体、多様な情報源に基づくファクトチェックである。

 ウクライナ侵攻に関して多くの偽情報・不確実情報が拡散したが、非戦闘員への攻撃などの重要なトピックスについては比較的、短時間でその真偽が明らかになった。各国政府、メディア、シンクタンク、専門家らが、衛星画像、グーグル・ストリート・ビュー、ソーシャルメディアに投稿された静止画・動画といった情報を用いてファクトチェックを行ったからだ。

 ファクトチェックが特に効果をあげたのは「ロシア軍の撤収」発表だろう。全面侵攻直前の2月15日、ロシア国防省報道官はロシア軍の一部がウクライナ近郊の軍事訓練から撤収を始めたと発表し、撤収中とされる動画も公開された。しかし、米欧のメディアやオープンソースインテリジェンス(OSINT)機関はこの発表を検証し、ハードエビデンスを以ってロシア軍はむしろウクライナ国境付近に結集していると判断した。

前例のない米国のインテリジェンス公開

 第二の要因は、米国バイデン政権による機密相当のインテリジェンスの積極的開示である。ファクトチェックは主に「語られたこと」「報じられたこと」の真偽を検証するものだが、インテリジェンス開示は「語られたこと」はもちろん、「語られていないこと」についても先手を打って発信を続けた。

 衝撃だったのは、2月19日(現地時間18日16時54分)のバイデン米大統領の演説だ。バイデン大統領は「現時点で彼(プーチン大統領)が(ウクライナ侵攻の)決定を下したと確信している」「ロシア軍が来週、つまり数日以内にウクライナを攻撃する計画、意図があると信じる理由がある。標的はウクライナの首都キーウを含むだろう」と明言した。

 情報の真偽は不明だが、流出したロシア軍の内部文書によれば、ロシア軍がウクライナ侵攻を承認したのが2月18日とされる。仮にこれが事実であれば、バイデン大統領はリアルタイムでロシア側の意思決定を把握していたことになる。

 14年のウクライナ危機では、オバマ政権はロシア軍の兆候に関するインテリジェンスを得ていながら、これをウクライナ側と十分に共有しなかった。この反省から、今回のウクライナ危機では、ジェイク・サリバン国家安全保障担当大統領補佐官が取り仕切る「タイガー・チーム」が省庁横断で情報収集・分析にあたっているという。

 他方、機密に相当するインテリジェンスの積極的開示はリスクを伴う。一つは、情報源や情報収集手段が相手方(ロシア)にばれるリスクである。ロシア軍の展開に関するインテリジェンスは恐らく通信傍受(SIGINT)、軍事衛星(IMINT)、ロシア政府内部の協力者(HUMINT)といったあらゆる情報源・手法を総動員している。実際、アブリル・ヘインズ国家情報長官は、ロシア側による情報源・情報収集手段の「つぶし」を注視していると述べている。

 もう一つのリスクは、米国による機密インテリジェンスの開示がロシア側の行動を変え、外形的にはインテリジェンスが外れた結果となり、インテリジェンスへの信頼性が毀損する恐れだ。結果的には、このリスクを差し引いてもインテリジェンスを公開する意味があった。

 バイデン政権はウクライナ側や国際社会に警鐘を鳴らし、「サプライズ」を防ぐと同時に、可能であればロシアによる侵攻を抑止しようとしていたと思われる。結果的に全面侵攻は抑止できなかったが、2月半ばのタイミングで侵攻を遅らせたとしたら、十分に意味があった。それはロシア軍の食料など浪費させ、ウクライナや国際社会の準備の時間を稼いだからだ。

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