この熱き人々

2013年4月12日

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吉永みち子 (よしながみちこ)

1950年、埼玉県生まれ。85年、『気がつけば騎手の女房』で大宅壮一ノンフィクション大賞を受賞。著書に『母と娘の40年戦争』(集英社文庫)、『怖いもの知らずの女たち』(山と溪谷社)、『試練は女のダイヤモンド』(ウェッジ)などがある。

 古代アンデス時代と現代との間には、2000年の時の隔たりがある。日本から最も遠い南米のナスカへは、山形から成田空港、成田からアメリカのロサンゼルスかヒューストンを経由して、ペルーの首都リマへ。リマからナスカまでの400キロは車で7、8時間。途中の乗り継ぎなどを含めると、片道2日かけて辿り着く。学生が夏休みの間は現地で研究調査に励み、大学で教鞭をとる時期は必要に応じて行ったり来たりするという。気候の違いも考えると、体力、気力、根気が求められる相当に過酷な生活なのだろうと容易に想像できる。坂井の古代アンデスへの道はどんなふうにして始まったのだろうか。

調査プロジェクトが発足

昨年開設された山形大学の「ナスカ研究所」

 山形大学とは96年に公募で職を得たのが縁で、坂井の出身地は千葉県である。千葉大学の薬学部で教鞭をとっていた父は、学生たちと植物採集に出かける時に子どもだった坂井も一緒に連れて行ってくれた。父のフィールドは日本各地ばかりか台湾や東南アジアの国にも及び、おみやげと共に帰ってくる。父の仕事は、少年の坂井には野原を歩く楽しみとおみやげのときめきをもたらすものだったのだろう。

 「フィールド学問ということでは、父の影響があるんでしょうね。僕にとって学問のイメージは、机に向かって勉強するというものではなかったんです。職業を考えるころ、大学の先生って悪くないなと思った。理科系は関心がなかったので文科系。考古学より現代社会に興味があったので文化人類学という感じで……」

 現在、肩書きには専門分野として文化人類学、アンデス考古学と記されている。埼玉大学を経て、東京大学大学院へ。東大の文化人類学教室は戦後から南米アンデス文明の研究を続けていて、院生だった89年にクントゥルワシ遺跡で黄金墓を発見した調査団に参加。そこから古代アンデスへの本格的なかかわりが始まった。「参加しているのはあくまで先生方のプロジェクトであり、自分のテーマを見つけなければならない。どこに絞ろうかと考えて、ナスカをやってみたいと思ったんです」

 きっかけは恩師から手渡された『The Lines of Nazca』という1冊の本。何だかよくわからないけれど面白いと気持ちが動いた。93年のことだった。翌年、当時ナスカで地上絵の研究を続けるドイツ人女性、マリア・ライヘを訪ね、すでに高齢だった彼女は坂井に自分の助手をつけてくれた。

 「1カ月ほど調査に歩き回ったんですが、あまりに広くて全体像がつかめないんです。まずナスカの地上絵の分布図を作らないといけないなと思いました」

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