熾烈な「兄弟殺し」
ただし弊害はあった。スルタンの妻妾は多数おり、ピラミッド状の職階に分かれた女官たちも性の対象になったが、生まれた王子のうち1人しか後継ぎになれない。熾烈な「兄弟殺し」が必至だった。
「16世紀末のメフメト3世は弟19人を処刑し、妊娠中の女性27人を海に沈めていますね?」
「やはり残酷な習慣だったんでしょう、次代以降は兄弟殺しは終わり、鳥籠制度に移ります」
17世紀前半から、王子たちはハレム内に幽閉されて暮らすようになった。スルタン死亡時に年長の王子から即位できる制度だ。
「でも、幽閉中には子を作れないし、即位まで24年とか55年待つ例もあったとか?」
「王子たちは悲惨です。明確な跡継ぎ以外は、血統の単なるスペアですからね。王女たちの方がよほど人生を楽しめました」
スルタンを除けば、ハレムという組織の頂点に君臨したのは母后だった。スルタンにも使用人にもアクセスできる中央部の区画を独占し、専用の多くの女官たちにかしずかれた。
「ハレムで働く宦官は、初期には内廷を管理する白人宦官が受け持っていたのが、16世紀以降は黒人宦官に入れ替わった?」
「危険な性器切除手術は当初帝国内で脱法的に行われていたわけですが、帝国がスーダン、エチオピアなど東アフリカと境界を接するようになると、そこから黒人の宦官を移入しました」
「宦官手術による死亡率は5割? この高い死亡率は時代と共に下がったんですか?」
「大して下がらなかったですね。だから宦官の値段は普通の奴隷の3倍以上したんです」
中国、中東、地中海諸国でも、後宮の男性使用人は紀元前から常に宦官だった。だが日本では、皇室にも徳川の大奥にも宦官はいない。
なぜか? 小笠原さんの説明はこうだ。
三田村泰助さん(『宦官』中公新書)によれば、宦官は通常は異民族からなるが、往古より民族的同質性が高かった日本には対応する異民族がいなかった。今一つは、私の同僚の清水和裕さんの意見で、家畜の去勢の慣習からきているのではないか、と。去勢と宦官の手術は関連があるが、日本では家畜(特に馬)の去勢が社会に根付かなかった。
「内廷の使用人で言えば、唖者の利用もありますね。これはオスマン帝国特有なんですか?」
「オスマン帝国以外の諸王朝では聞いたことがありません、ハレムの構造同様、唖者の研究も近年トルコで盛んになりました」
「君主の区画で、静謐を重んじるためだそうですが、スルタンその人まで平素から手話を使っていたとは驚きです」
「手話といっても、スルタンが使っていたのは簡単なハンドサインだったとは思います。万事鷹揚が尊ばれる空間では、簡素な所作での円滑な生活進行が大切でした」
ちなみに、唖者は処刑人でもあった。「兄弟殺し」などの際、貴人の流血が禁じられていたので、唖者に紐で絞殺させたのだ。