8月15日、終戦から77年を迎える。戦前の反省に立ち、「平和国家」への道のりを歩み始めた日本人の平和への思いは強い。
だが、そんな日本人の思いと裏腹に、その後も世界ではたびたび戦争(内戦)やテロ、感染症などの危機に見舞われた。一方、日本は1995年の阪神・淡路大震災や2011年の東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故などが起こったが、幸いにして、戦後多くの日本人は安定した暮らしを享受してきた。
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CHRONOLOGY
1948 日本学術会議法公布。
翌年、日本学術会議発足
1950 朝鮮戦争勃発。警察予備隊発足
学術会議が声明(戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない決意の表明)を発表
1951 旧日米安保条約調印
1954 保安隊(52年に警察予備隊から改組)が改編され、自衛隊発足
防衛庁設置
1960 新日米安保条約調印
1972 沖縄返還
1978 日本有事の際の日米協力を公式に定めた「日米ガイドライン」策定
1990 湾岸戦争勃発。クウェート感謝広告事件(日本の支援は資金面に留まる)
1991 ソ連崩壊により冷戦終結
1992 カンボジアへ初の国連平和維持活動(PKO)派遣
1993 北朝鮮が核兵器不拡散条約(NPT)脱退を宣言し、核の脅威が高まる
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そのためだろうか。「日本さえ安全であればいい」「戦争に巻き込まれなければそれでいい」など、世界でも独特な安全保障観が育まれていった。加えて安全保障と言えば即、「軍事」や戦前日本の「軍国主義」と結びつけ、〝軍事アレルギー〟が強まっていったと言っていい。
しかし、……
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安全保障と言えば、真っ先に「軍事」を思い浮かべる人が多いであろう。だが本来は「国を守る」という考え方で、想定し得るさまざまな脅威にいかに対峙するかを指す。日本人が長年抱いてきた「安全保障観」を、今、見つめ直してみよう。