「行政の無謬性」の壁を
組織改革で乗り越えられるか
──そういった人材を生かすためには行政組織の文化や風土も変えていかなければならない。
庄司 情報セキュリティーの観点でいうと、少し前に兵庫県尼崎市で住民の個人情報が入ったUSBデータを紛失する事件があったが、その直後に別のある自治体で小さなトラブルがあった。職員から「再発防止策をまとめたので見てほしい」と頼まれたので確認したところ、プロセスの各所で人によるチェック機会を増やしており厳重すぎる業務フローになっていた。
「行政はミスがあってはならない」という無謬(むびゅう)性が足かせとなり、人的・時間的なコストを無視して「リスクをとるくらいなら、多少非効率であっても人海戦術で乗り切ろう」という感覚が日本の行政にはある。コロナ禍の対応が最たる例だ。
一方、米国では政府が新型コロナウイルス対応における定額給付金を誤って対象外の日本人にまで配る事象があったが、米政府は淡々と「誤って届いた人は返してください」とアナウンスしているだけで、謝罪や再発防止といった対応は特にないようだ。「スピード重視で配ったので多少のミスは仕方なく、必要な人に迅速に届けられたメリットの方が大きい」という考え方なのでしょう。
廣川 職員が失敗することを恐れて新たなことに挑戦しない組織に未来はない。それを変えるためには、トップの言葉と後押しが必要となる。チャレンジをして失敗しても、そこから学ぶことを善しとするアジャイル型組織を、首長を中心につくっていくべきだ。
──必要な組織体制とは。
廣川 やはり専門の部署が必要だ。メンバーはITに関する専門知識を持った者ばかりでなく、業務改革、企画、人事、総務と、組織を構成する各分野に精通し、全体に横串しを通すことができる体制とすべきだ。
さらにその専門部署をトップである首長、あるいは自治体のデジタル責任者の直轄下に置き、古い慣習やルールに縛られない、ある種の治外法権的組織とするのも有効だろう。
酒井 民間企業でも、「デジタル」のイメージが強い情報システム部門は、会社システムの保守管理を担う〝守り〟の部署である場合が多い。業務改革を伴うような〝攻め〟のデジタルを実行する部署を独立して置くのは理にかなっている。
行政運営を地域住民と一緒に
「シビックテック」という概念
──自由な発想で縦横無尽に動ける組織の中でこそ、新たなアイデアが生まれるのかもしれない。
庄司 従来の文化や慣習から一歩踏み出した人材や組織が育ってくると、行政の枠組み自体もリセットされる。インターネット上で行政サービスが提供されれば、市町村の垣根を越えた窓口業務の共通化や広域連携なども検討の余地があるだろう。
廣川 必ずしも自治体職員が公務員である必要もないのでは。仕事を早期リタイアした高齢世代や、育児が一段落した子育て世代などの中で「地域のためなら手を貸してもいい」といった人たちと共に行政を運営する形があってもいい。
酒井 民間企業や市民の開発エンジニアなどの参画を受け入れ、地元発のIT技術を取り入れながら地域課題の解を目指す「シビックテック」という概念がある。スマートシティのような地域全体のデジタル化計画も行政だけのものではなく、住民みんなが参加できる〝コミュニティー〟としての役割を持っている。
庄司 行政のデジタル化の先には地域全体の情報化、高度化の可能性が広がっている。行政側も地域に関するデータを住民に公開し、インターネット上で広く意見を求めるなど、デジタル化を進める中であえて住民参加の余地をつくっていく工夫や仕掛けが必要だ。行政と住民の関係は、単なるサービスを提供する事業者とお客様ではなく、共に地域を発展させていく協力者であるべきだろう。
コロナ禍を契機に社会のデジタルシフトが加速した。だが今や、その流れに取り残されつつあるのが行政だ。国の政策、デジタル庁、そして自治体のDXはどこに向かうべきか。デジタルが変える地域の未来。その具体的な〝絵〟を見せることが第一歩だ。