2022年8月18日(木)

「子縁」でつながる秋津地域のお父さん 

2013年5月7日

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岸 裕司 (きし・ゆうじ)

秋津コミュニティ顧問

1952年東京生まれ。広告・デザイン会社の(株)パンゲア代表取締役、習志野市立秋津小学校PTA会長時に秋津コミュニティ創設、会長を経て現在顧問兼秋津小学校コミュニティルーム運営委員会顧問。文部科学省委嘱コミュニティ・スクール推進員、学校と地域の融合教育研究会副会長、埼玉大学・日本大学非常勤講師、ほか。著書に『「地域暮らし」宣言』『学校を基地にお父さんのまちづくり』(ともに太郎次郎社エディタス)、『学校開放でまち育て』(学芸出版社)など。

秋津小学校の体育館に避難した子どもや家族・先生方

 電車が止まり保護者が「帰宅難民」になった秋津っ子が20人ほどいました。しかし、先生が中心になり体育館でお世話に専念しました。

 そして、翌日の朝にはすべての子どもが保護者に無事に引き渡されました。

 また、今回の災害の経験から、学校に併設の秋津幼稚園(校長が園長を兼務の習志野方式)と幼小PTA・秋津コミュニティ・秋津まちづくり会議などが意見を出し合い『大地震がきたら~大地震・大津波対応マニュアル~平成23年度(保存版)』を策定しました。

 さらには、秋津小学校の保護者に『防災訓練(児童・園児合同引き渡し訓練)の実施について』を同年7月に配布し、9月2日(金)に災害を想定した保護者への引き渡し訓練も実施しました。

 これらの様子は秋津小学校のHPに掲載しています。

帰宅難民や秋津住民が集まった秋津小体育館

 では、秋津地域や近隣の会社などに勤務する大人やほかの秋津の住民はどうしたのでしょうか。

 「大地震発生後、すべての電車が停止したために秋津地区から東京方面に通勤している大半のサラリーマンは帰宅できませんでした。その後に都心から乗り入れている都営新宿線のみが夜遅く開通したことから、千葉県寄りの終着駅である市川市の本八幡駅から何時間もかけて歩いて帰宅した人が多数いました」と、『秋津誕生30周年記念誌』(2012年8月30日秋津誕生30周年記念事業実行委員会発行「東日本大震災、原発被害と秋津地区の被害」。石黒俊行氏(秋津まちづくり会議副会長・防災担当)文)に記録されています(以下の引用も同)。

電車が止まり「帰宅難民」になった人や高層マンションから避難した人々。秋津小学校体育館

 「避難所として開設された秋津小学校の体育館には、市外から秋津地区の最寄り駅であるJR京葉線の新習志野駅を利用して通勤している帰宅困難者や、秋津地区内の戸建てエリアである四丁目と五丁目、そしてスーパーマーケットの跡地に2003年に新築された秋津三丁目の14階建て185戸の分譲マンションであるベルデコア新習志野から10家族など、合計約130人が避難して一夜を過ごしました」

 高層マンションのベルデコア新習志野は、この時点で停電しエレベーターが使えませんでした。

 余震が不安なために体育館に避難してきました。

 また四丁目と五丁目の戸建て地区は、のちに判明しましたが、地震のための住宅の傾きや液状化がひどい家屋もあり全域が災害地区に認定されました。

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