野嶋:中国国内での動きはどうでしたでしょうか。
沈:私たちは中国の動向も常時追いかけていますが、中国国内では非常に抑制された状況がペロシ訪台の直前まで続いていました。明らかに騒ぎにしたくないと考えていたようでした。
ところが訪問2日前になって突然爆発的に情報が増えました。コントロールができなくなった可能性があり、一部のアカウントが使用不能にされています。そこで中国政府は態勢を整えて、党中央宣伝部や外交部がいくつかのアカウントから発信を行って議論をコントロールしようとしました。
次に出てきたのは人民解放軍系のアカウントで軍事演習について詳しい情報を流します。それでかなりネットに愛国世論が盛り上がったのですが、軍事演習も終盤に入ってくると、一気に静かになります。
一定の目的を達したとみて、これ以上の騒動を押さえ込んだのでしょう。「網紅」と呼ばれるネットインフルエンサーで一部の中国当局と近いアカウントは「みんな冷静になろう」「一歩引くことも大切だ」などと呼びかけたりもしています。
野嶋:台湾へのハッカー攻撃はどうでしたでしょうか。コンビニの液晶の広告が書き換えられたり、政府のサイトが一時使用できなくなったりしました。
沈:全体に幼稚なものが多かった印象です。おそらく、当局とはあまり関係がないハッカーが腹いせでやったのでしょう。書き換えで表示されたものも中国で使っている簡体字だったりしましたね。あの程度の企業広告のシステムは10分で破ることができます。だいたい暗証番号が「1234」ですから笑。
台湾政府のサイトが一時使用不能になったのも、基本的には民間ハッカーの攻撃でしょう。使われたDDoS攻撃は大量のデータを送りつけてサーバーに負担をかけるだけの簡単な方法ですから。
いちばん恐ろしいのは、機密資料を取られてしまうことですが、政府の公式HPには公開情報しかないので、意味はありません。ちょっと怖いなと思ったのは「民視」というテレビ局の画面がハッキングされたことです。技術的にもかなり高度なものなのです。いずれにせよ、彼らの行動は、台湾社会にネット攻撃の危険さを認識させることにもなりました。
手法は人づてからネットの世界へ
野嶋:歴史的にみて、中国の台湾に対する「認知戦」はいつごろから始まりましたか。
沈:認知戦という意味ではずっと昔から常にやっていました。以前は「統一戦線方式」と呼ばれるやり方で、地方の里長(自治会長)や寺廟(寺院)の長など地元社会に影響力がある人物と密接な関係を作り、いろいろな情報を流していくものです。
ネットに主戦場が移ったのは2015年ごろからです。なぜなら14年のひまわり学生運動が起きて、ネットを通して世論の主導権を反対勢力に握られたからです。人民解放軍の傘下の戦略支援部隊が持っているネットアーミー(網軍)を中心に、台湾へのハッカー攻撃、フェイクニュースの散布が急激に増えました、それが18年にピークに達しました。
野嶋:国民党の韓国瑜氏が「韓流ブーム」を巻き起こして高雄市長に当選した地方選挙があった時期ですね? 中国時報や中天テレビが盛り上げたことが知られていますが、背後に中国による認知戦的な情報工作があったのでしょうか。
沈:はい、そこから台湾社会もこれでいいのかという疑問が生じたのですが、一方の中国もさらに勢いを増してこようかという情勢でした。しかし、20年に新型コロナウイルス感染が広がり、彼らがやろうとしていた統一工作はうまくできなくなったのです。
そのおかげで、私たちは一息つくことができました。なぜなら一人の中国人が台湾を訪問すれば一つのビジネスをもたらし、20人が来れば、20のビジネスが生まれるお金を運んでくるのです。台湾社会を買い取るお金だといっていいでしょう。あるいは、台湾の民間企業に委託して、いろいろな工作を仕掛けをすることもできました。しかしそれらもコロナの往来断絶でできなくなった。
昨年あたりから起きていることは、ベトナム、カンボジア、マレーシアなどで偽アカウントを大量に作ってまたフェイクニュースを流してくるようになりました。台湾のアカウントを使う方がいいのですが、現状では仕方ないので、こうしているのです。