「米国は1971年にひそかに琉球の統治権を日本に渡したが、日本が琉球の主権を持っていないという事実は依然として変えられない。このため日本は、琉球国(琉球王国)を基礎につくられた沖縄県の主権を持っていないのだ」(5月1日号『世界知識』)
『世界知識』の論文の筆者は、共に雷玉紅氏(復旦大学国際関係・公共事務学院)という学者だ。注意しなければならないのは、論文や文章に共通するのは、沖縄に対する日本の主権を否定していることで、沖縄に対する中国の主権や領有権を明確に主張していないことである。こうした中で、中国の研究者たちは、1879年の琉球処分と1971年の沖縄返還協定の過程を根拠に、日本の沖縄に対する主権を否定しているようだ。
「近代中日関係の起点」
ここで「琉球と中国」の歴史について振り返ることにしよう。
琉球では中国への朝貢が始まったのは明朝時代の1372年。1429年に尚巴志が琉球を統一して琉球王国が成立するが、琉球王国は中国などとの海上貿易で栄えた。琉球の王は、宗主国の明・清の皇帝に貢ぎ物を朝貢することで中国皇帝が、王と認めるという「朝貢・冊封」体制の中で中国に従属する地位にあった。それが変化するのは、1609年に起こった薩摩藩の侵攻だが、その後は江戸にも使節を送るなど、日中双方に帰属した。
さらに大きな転機となったのは、1871年の「牡丹社事件」(宮古島民遭難事件)だった。この事件は、琉球王国・首里に年貢を納めて帰途に就いた琉球・宮古島の69人が乗った船が台風に見舞われ、台湾南部・牡丹社に漂流し、このうち54人が先住民に殺害されたというものだ。
事件を契機に琉球の日本帰属を明確にしようとした明治政府は、その布石として翌72年に琉球藩を設置した。事件に関して明治政府は、琉球人を「日本人」として清朝に厳重に抗議。しかし清朝が先住民地域を「化外の地」(管轄外)と突っ撥ねたため、領土主権の侵害に当たらないとして1874年には台湾に出兵し、結局、明治政府は清朝に「日本国属民」と認めさせた。最終的に79年の「琉球処分」で琉球王国は滅び、廃藩置県により沖縄県が設置されたのだ。
『世界知識』(3月16日号)は、「『牡丹社事件』は、近代中日関係の起点であり、その後発生した琉球国(琉球王国)に対する併合(「琉球処分」)は日本のアジア侵略の始まりだ」と指摘している。
沖縄県民の意識は…
沖縄の地元紙『沖縄タイムス』は、「琉球処分」の過程について5月10日こう報じている。
「中国共産党機関紙、人民日報が8日、『琉球王国は独立国家で中国の属国』だったとして、日本の『強奪』を批判する論文を掲載した。政府は、中国に抗議したが、琉球処分で『武力を派遣して強制的に併呑(へいどん)』(同論文)したのは歴史的事実。沖縄の反応は複雑で、中国批判一辺倒ではない」