その際、複数年度の歳出総額とその政策のアウトプット・アウトカムを事前に設定することが必要だ。これにより、予算と政策評価とを連動させることができる。もちろん、目標設定は具体的なものでなければ意味がない。評価が甘いと、アウトプット・アウトカムを設定しても、無駄遣いを抑制できない。要求した予算が認められた各部局には、成果に対する説明責任を負わせる代わりに、予算執行の裁量権をセットで与えることが有効だ。
最も重要なことは、歳出を恒久的に増やしたいならば、恒久財源を確保することをセットにした制度へと変えることだ。財源の手当てなく、ひたすら歳出だけを増やせば、1990年代以降から今日まで続く国債残高の累増と同じ轍を踏むことになる。ただし、先ほど述べた複数年度予算の仕組みに関しては、3年間の歳出総額と財源総額が釣り合っていればよいわけなので、一時的に先行して国債を増発するということ自体はあってよい。そのため、単年度で収支の帳尻合わせを求めるよりも、より予算の柔軟性を発揮することができる。その代わり、近い将来には財源の負担増を国民にお願いすることを、あらかじめ示すべきである。「ノー・フリー・ランチ(無料の昼食はない)」である。
2023年度における新規の歳出増として、防衛費、GX投資、子ども予算が想定されている。子育て支援などの各分野で必要な予算を確保すること自体は否定しないが、願わくば、予算執行に際して前述のような仕組みが用いられることが望ましい。あるいは、すぐには包括的な仕組みを整えられないなら、せめて増額分に関しては、その財源をどのように賄うか、といった方針を立て、政府は国民に理解を求めていくべきだ。
中長期の財政ビジョンがなければ、目指す目的地も不明のまま、国民もメディアも「目先の支出が無駄か否か」といったミクロの視点にならざるを得ない。今後増大する社会保障費の議論を含めて、歳出と歳入をトータルで捉え、どういう社会を目指すためにわれわれの税金をどのように配分するのか──。国はこの課題に真正面から向き合い、将来に向けた国民のコンセンサスを得ていくことを怠ってはならない。
バブル崩壊以降、日本の物価と賃金は低迷し続けている。 この間、企業は〝安値競争〟を繰り広げ、「良いものを安く売る」努力に傾倒した。 しかし、安易な価格競争は誰も幸せにしない。価値あるものには適正な値決めが必要だ。 お茶の間にも浸透した〝安いニッポン〟──。脱却のヒントを〝価値を生み出す現場〟から探ろう。